書の歴史・日本編1/飛鳥-奈良時代


日本への漢字の渡来は、五世紀の頃、
阿直岐、王仁の百済からの来朝に始まると言われているが、
それ以前に帰化人によりもたらされている事を考古学上の遺物が物語っている。
それによると一世紀初頭まで遡る。
日本固有の文字の有無についても多くの議論があり、
日本人の一人として人情的には日本固有の古代文字の存在を認めたいが、
残念ながら存在しなかったが正論のようだ。


法華経義疏(615)


日本最古の肉筆が聖徳太子自筆の法華経義疏である。
法華経義疏の記された615年頃には、既に、
当時の中国六朝時代の高度な文化とされる漢字を完全にマスターし、
自由に使いこなし、日本独特の書風すら確立されている。
伸び伸びとした優しい線であるが、格調が高い。




法隆寺釈迦像光背銘(621)
聖徳太子を悼んで造像された三尊佛の光背の裏の刻銘であり、
隋朝の金文さながらの風韻のある美しい文字が整然と並んでいる。
三尊佛は止利仏師の作。





宇治橋断碑(646)
日本最古の碑石とされている。
長年地に埋もれていて江戸時代の発見された時は大部分が破損し失われていたが、
後に残されていた文章を元に復元された、これが断碑と呼ばれる由縁である。
鋭い力強い書風は日本金石文の名蹟とされている。





金剛場陀羅尼経(686)
我が国に残された最古の写経である。
縦長で締まった背勢、随所に欧陽詢の筆法が覗える。
欧陽詢の没後40年余りの早さだ。






船王後墓碑(668)
南河内での山崩れで偶然発見された。
碑文の内容からして、日本最古の墓誌とされる。
六朝銘文の形式をとっているが正式な漢文ではなく、
和風朝の漢文であるところが興味を惹く。
銅版に墨書し鏨で刻したようである。
雄大にして古朴豪放な書は、一見、北魏の書と見紛う程である。





詩序(707)

当時、唐で最も著名な詩人王勃の文集の残巻である。
第8次遣唐使によって持たされたとされる。
当時の知識人、文人たちが挙って王勃の詩を読み詠い書き漁ったのであろう。
仏典以外では日本最古の写本という。
美麗な料紙に書かれた文字は華麗である。
この書風も欧陽詢の流れを汲んでおり、
また、則天文字が随所に見られるのも特徴である。
(則天文字とは則天武后が作った漢字で水戸光圀の圀はその一つの例である。)




多胡碑(711)

山ノ上碑、金井沢碑とともに上野国三碑の一つ。
国の特別史跡である。
書道史上、那須国造碑、多賀城碑と並ぶ日本三大古碑の一つである。
碑の内容から8世紀後半の建碑とされる。
朴訥剛毅な楷書で書かれ、豪放、自由闊達な力が漲っている。
この碑も、一見、北魏の碑と見紛う。
多胡群建群の官符である。
羊の字は方角説、人名説などの説があるが、
羊を渡来人の名であるとする説が有力である。
多胡も多くの胡人の意と想定されている。




聖武天皇雑集(731)

聖武天皇(701-756)
中国の六朝、隋、唐の詩文から抜け書きされたもので、
全長21.35mに及ぶ長巻である。
先の詩序同様、中国では既に失われている詩文も有り、
中国文学史上も極めて貴重なものとされる。
それにしても、
後述の光明皇后の豪放とも言える書風に比して、
ご主人であるこの聖武天皇の書の繊細にして正確、
一画一画が几帳面に書かれている。
お二人の性格を垣間見るようで微笑ましい。 
しかし、王羲之を丹念に学んだであろう骨格の確かさが覗える。




賢愚経(740以降)

伝聖武天皇
荼毘紙と言う極めて稀な料紙に書かれている。
荼毘に附した人骨を漉き込んだという信仰的な伝説から、
この類のものは全て聖武天皇書とされる。 
実際には中国からの帰化人の手になるものと思われている。
古来、古筆家の手鑑の巻頭におされる。
この時代、
国家鎮護仏教の名の下に全国規模で写経が行われた。
奈良前期には比較的細い線の写経が流行したが、
後期に入るとこのような肉太の写経がもてはやされたらしい。

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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
講談社:日本の書
東京書道研究院刊:書の歴史
講談社:日本書跡全集
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
創元社:書道入門
平凡社:書道全集
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙




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