書の歴史・日本編14/江戸時代(5)

松平定信
十二朝之儀忝御待申上候

松平定信(1756-1829)
吉宗の孫、白河城主。
寛政の大飢饉の折の藩政の改善手腕が認められ、
田沼意次失脚後幕府老中として幕政を預かり、
寛政の改革を断行した。
「白河の清きに魚もすみかねて、昔の田沼いまぞこいしき」
と世評され失脚し余生を風雅三昧に過ごす。
学問に秀で、書も一家を成し、
したためた諸寺の寺額は70枚にも及ぶと言う。

自信満々の書は他を圧するが、書法は堅実である。
華やかさは無く、むしろ、厳しさを発する書で




松平定信
君子亦仁而已矣





良寛
従容亭

良寛(1758-1831)
越後出雲崎の名主の長男として生まれる。
22歳で出家し、諸国行脚し39歳にて越後に戻る。
諸庵を転々とし、69歳の時、女僧貞心と出会う。
貞心との往復歌集「蓮の露」が残されている。

良寛は歌人として名高いが、
書人としても書道史上にも欠かせない人物である。
小野道長、懐素等の日中の古典に精通習熟し、
古典を基盤に良寛独自の個性溢れる書風を確立している。
豪快であり、秀麗であり、徳の高い枯淡でもある。
同時代の巻菱湖、市川米庵、貫名海屋等の唐様の全盛時であったが、
良寛は古典に立脚した独自の書風で一線をきした。


良寛
誰家不喫飯為何
不自知伊余出此

貞心尼30歳の時に70歳の良寛に弟子入りし、
以後5年間に亘り手紙の交換をしたが、
その内容からして二人は恋愛関係にあったとされる。
貞心尼は良寛の最期を看取り、明治5年に75歳で没した。



良寛・自画像賛
世の中にまじらぬとにはあらねども(あそびぞねわれハまされる)

よく知られた自画像である。
自らの容貌を飾らぬにありのままを描いていて微笑ましい。





十返舎一九・画賦
案山子の弓
張月は鎌の形

十返舎一九・画賦
(1765-1831)
江戸時代後期の戯作者。
代表作「東海道膝栗毛」は余りにも有名。
式亭三馬と並び称された。

飄々とした味のある字だ。



頼山陽
月色

月色頼山陽(1780-1832)
江戸時代後期の儒者・詩人。
幼児時から文武両道に精進し、12歳にして「立志伝」を著した。
若くして蘇東坡を耽読し詩文において其の天分を現した。
その著書「日本外史」は代表的な歴史書として位置付けられ、
幕末の尊皇攘夷派の多くの影響を与えた。



巻菱湖
男児更老気如虹
短鬢何嫌以断蓬

巻菱湖(1777-1843)
江戸時代末期の代表的な書人。
市川米庵、貫名海屋と共に幕末の三筆と謳われる。
趙子昂、董其昌などの書を多く臨摸して確立した書法を唐様と呼ばれた。
彼の書は文字学が基盤になっており来歴の正しい書家として後世へ多大の影響を齎した。
米庵が上流社会の門人が多かったのに対し、菱湖の門人は庶民が中心であった。



大塩平八郎
張身不啻河阨w天下男児多亦

大塩平八郎(1793-1837)
江戸末期の儒学者。
与力として役人の腐敗、豪商の奸智を厳しく取り締まり名を成した。
天保の飢饉時に窮民救済すべく蜂起を企てたが事前に発覚し自殺した。

毅然とした性格を示す書だ、精力が漲っている。




仙崖
庭前柏樹子

仙崖(1751-1837)
臨済宗の禅僧。
庶民の中に庶民と生きた。
金俳主義に対し痛烈に時勢を風刺し、
過酷な圧迫に耐え禅の境地を判り易く書画に託し諸子に説いた。
軽妙洒脱でヒューマニズムに富む禅画を多く残している。
紫衣を拒み黒衣で通したと言う気概を感じる書だ。



仙崖・円相図
これくうて茶のめ

茶道の形骸化を窘め利休に帰れと諭したのであろう。



仙崖




谷文晁
丹青不知老将至富貴折我如浮雲

谷文晁(1763-1840)
江戸後期の文人画家。
狩野派、南宗画、西洋画、土佐派、など様々な画法を学び独自の画法を習得した。
松平定信に厚遇され、江戸画壇の重鎮として名を成した。



渡辺崋山
自穆稜?此荒陬雪月花晨無杞

渡辺崋山(1793-1841)
田原藩の家老であったが画人としての方が名高い。
極貧の中で絵画の勉学を重ね、
谷文晁に其の才覚を高く評価されてから世に名を認められた。
遠近法を取り入れた山水画など近代絵画の先駆者的役割を発揮した。
藩の海防を担当するする事などから、西洋事情にも詳しく、
高野長英などとも親交があった。
後に幕府批判のかどで獄につながれる、所謂、蛮社の獄である。
被害が藩主に及ぶ事を恐れて自害する。



高野長英
五老峰為筆洋蘭為硯池

高野長英(1804−1850)
江戸時代後期の蘭学者・医師。
杉田玄白、シーボルトなどに師事し蘭学、医学を学ぶ。
世界情勢を論じて幕府を批判したかどで、
崋山等と共に蛮社の獄にに処せられる。
獄舎の出火に際し脱獄し、
宇和島藩、薩摩藩等の加護を受け各地を転転とする。
自ら顔面を焼いて江戸に戻るが、捕史に襲われ自害する。



藤田東湖・七言絶句
傾来一斗剣菱春
衡破愁城鋭有神

藤田東湖(1806-1855)
江戸時代末期の水戸藩儒学者。
文武両道に秀で斉昭の側用人として政治的手腕を発揮した。
攘夷論を主張し多くの門弟を育てた。 梅田雲浜、佐久間象山、西郷隆盛との交じりも深い。
筆を縦横に駆使し、強烈な熱気と気概が感じられる。 




市河米庵
読書懐古今

市河米庵(1779-1843)
巻菱湖、貫名海屋、と共に幕末の三筆と呼ばれる。
宋の米?に私淑し、若くして能書家として知られた。 晩年には書の教えを請うものが5千人に至ったという。
書に関する著書も多く、筆などの書に関する収蔵品も多く、単なる書家に止まらず書学者、収蔵家としても名高い。



梅田梅浜
和楽

梅田梅浜(1815-1859)
勤皇の志士、儒者。
幼少より文武を好み、諸地よ遊歴し各地に儒者、思想家と親交を持った。 
藩政批判で士籍を削除された後も、武田耕雲斎、吉田松陰等と尊皇攘夷活動に終始した。
日米修好通商条約に異議を唱え捕らえられ獄死する。
豪快な筆捌きで堅固な意思を示し面目躍如足るものが有る。




吉田松陰
此人即佐分利定之助者好読書善詩文

吉田松陰(1830-1859)
幕末の志士、思想家。
若くして兵学を究めたが、国際情勢を知ると共にそれに満足せず脱藩し東北を遊歴する。
脱藩の罪を許され再び諸国を遊歴し佐久間象山に学ぶ。 海外渡航を企て失敗し縛に付く。
萩の野山獄を出て松下村塾を主宰し、
高杉晋作、木戸孝允、前原一誠、伊藤博文、久坂玄瑞など多くの俊秀を世に出した。
安政の大獄で連座し処刑される。



橋本佐内・元旦試毫
聖得知

橋本佐内(1834-1859)
幕末の志士。
幼少より知才豊かで詩文にも長じた。
緒方洪庵、杉田玄白などから儒学、医学、洋学、蘭学を学ぶ。
松平慶永、薩摩斉彬等の幕府大改革を目指したが政争に破れ、
安政の大獄に連座し処刑される。

22歳の元旦試毫に唐の韓愈の詩の一節を書いた。
漢詩への造形の深さを物語る。




井伊直弼
天生丞民氏有物有則民之乗彝好是懿悳

井伊直弼(1815-1860)
15年に及ぶ部屋住みの間、武術・学問を学び、茶の湯、詩文にも親しんだ。
長兄直亮の養子になり直亮没後藩主となる。
幕府大老として、強引に列国との通商条約を調印し、
反対派に対し安政の大獄など武断的な弾圧を断行しが
この強硬な画策に対し反対派の怒りを買い水戸・薩摩の浪士等により暗殺される。
一方で風流を愛した雅味溢れる豊かさのある書だ。




貫名海屋
いろはにほへ

貫名海屋(1778-1863)
江戸時代末期の儒者、書家、画家。
特に書については市河米庵、巻菱湖と共に幕末の三筆として名高い。
空海の真蹟に心酔しその筆法を習得する。
中国の法帖、日本の古名跡を臨書する事により独自の書風を確立した。
明治になって日下部鳴鶴、厳谷一六らに賞賛され、
以降の書壇に大きな影響を与える。
この書は83才の書であるが若々しい気概に溢れ、
古典を基礎にした迫力ある筆致には一部の隙も無い。



緒形洪庵
臨事無為賎丈夫

緒形洪庵(1810-1863)
幕末の蘭学者、医者、教育者。
日本の医学の基礎を築いた功績は高い。
蘭学塾緒方塾を開き一千人の門人を育て、
大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、らの逸才を送り出した。
数多くの医学書を残す。
温厚誠実にして生涯を医に捧げた高い精神性を感じる気骨有る筆致だ。



佐久間象山
謄々快馬洋装軽信馬離城
不程計背日林間革轡響
遂風提上鉄蹄鳴

佐久間象山(1811-1864)
幼少より才知聡明で天才児の誉れが高かった。
詩文、易学、朱子学、蘭学当に通じ、
海外事情を調べ「海防八策」を著し海防の重要さを進言した。
勝海舟、吉田松陰は彼の高弟であった。
松蔭に海外事情探索の必要性を説き、
松蔭の密航を画策したが失敗し捕らえられる。
獄中、謹慎、放免後を通じ、開国論を唱え、
過激な攘夷派の志士に暗殺される。
力強い豪快な筆致は彼の真骨頂を如舌に示す。



久坂玄瑞
寒冷之砌ニ御坐候処
起居如何承り候へハ
御尊母様遠逝

久坂玄瑞(1840-1864)
幕末の志士。
長州藩の尊皇攘夷派の代表的人物。
吉田松陰門下の秀才、妻は松蔭の妹。
蛤御門の変で会津・薩摩藩との戦闘中に戦死。



武田耕雲斎
故石嶋忠次娘共
居延之義先達而中

幕末の志士。
熱烈な尊皇攘夷論者で自論を貫徹すべく、
慶喜への進言するが捕らえられ斬刑に処せられる。
強烈な個性と意志の堅固さが覗える筆致だ。



坂本龍馬
雲鶴

幕末勤皇の志士。
千葉周作に剣を学び、後に、勝海舟に師事した。
長州の久坂玄瑞、薩摩の西郷隆盛、小松帯刃など諸藩の有力者と交友があった。
薩長同盟を画策成立させるなど、倒幕に奔走し、
「船中八策」にて来るべき国家構想を示したが、
明治維新の目前に暗殺される。
豪快奔放の筆致の中に粋を感じる。




高杉晋作
踏尽渓山遠訪君話新談旧與忻々客愁塵

高杉晋作(1839-1867)
幕末の尊皇攘夷・討幕運動の志士として名高い。
西行に倣って東行と号した。
吉田松陰門下で久坂玄瑞と並んで松下村塾の双璧と称された。
町人・百姓から募った奇兵隊を編成し、
二度に渡る幕府の長州征伐を不成功に終わらせる原動力とした。
当初、尊皇攘夷を主張したが、下関砲撃事件などを経て、
倒幕・開国を主張するようになる。
詩歌を好み茶を愛し三味線も嗜んだと言う。
晋作も維新を待たずに29歳で夭折する。
この書が晋作11歳の作というから驚かされる。
まさに天賦の才に恵まれていた事が覗える。




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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
講談社:日本の書
東京書道研究院刊:書の歴史
講談社:日本書跡全集
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
創元社:書道入門
平凡社:書道全集
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙
白州正子:西行
角田文衛:待賢門院璋子の生涯








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