甲骨文字2

王国維は甲骨に記されている帝の名前と、
「史記」にある殷の帝の系譜がほぼ一致するのを発見した。
これは、伝説の殷墟を実在の殷墟と実証するものとして、
古代史研究の於ける甲骨文の価値を一層高めたのであった。

1928年、菫作賓を中心に大規模な殷墟発掘が始められ、
日中戦争で中断されるまで十数回の発掘が行われた。
ここで2万5千にも及ぶ甲骨をはじめ、宮殿跡、銅器・玉器・石器・骨器、
更に小屯の郊外から王墓などが発掘され、
「史記」に記されていた伝説の殷王朝の実在が余儀ないところとなるである。

後に菫作賓は膨大な甲骨資料の整理し、「殷暦譜」を完成する。
2世紀以上にわたる甲骨を、字形、書風、文法、等から、
初期の武丁から末期の帝乙・帝紂までの5期に分類区分したのだ。
菫作賓 郭沫若

甲骨文字に深い造詣を持ち輝かしい成果を上げたもう一人の人物は郭沫若である。
彼は独自の歴史観で古代中国を論じたが、その考証に広く甲骨文字を引用した。
それまで発見されている甲骨全て網羅分類した「甲骨文合集(第一集)」が出版されたのは1979年、
この編集を中心に進めて来た郭沫若はその前年に亡くなっている。

それまでに発見された甲骨は16万片、
甲骨文字の数は約4500、
解読されている文字は約2000、
と言われている。


殷人は信心深く、殷朝は典型的な神権政治を執り、
重要な意思決定は全て占いに基づいた。
その占いに用いられたのが、亀の甲羅や牛や鹿の肩胛骨である。
珍しくは、鹿の角、人間の頭蓋骨の例もある。
これらの骨・甲羅などの裏側にすり鉢状のくぼみをつけ、
そのくぼみに燃え木(熱した青銅製金属棒とも言われる)差し込む。
表側に生じたひび割れの割れ目の形で占い、判断を甲骨に刻み付けた。
更に、占いに対しての結果も刻まれた。
これらの文字が甲骨文である。

甲骨文に記された占いの内容は、祭礼、戦争、農作、狩猟、人事、出産、病気、天候、に及ぶ。
占いばかりでなく、稀には、暦、甲骨の保管等の記述も見られる。

驚かされるのは、これらは単なる記録に留まらず、
文字の配置、構成等の巧みさ美しさには、
古代人の美的感覚が垣間見られるのだ。
今日、我々はその芸術性の高さに魅せられ驚くのだが、
古今を問わず、美しさを追求する精神の様なものが、
人間の奥底に秘められているのであろう。

魚児 舞遊


引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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