甲骨文字3

一寸、脇道にそれるが、
ここで、絶世の美女、妲己が登場する。
殷朝最後の王、
紂王は極めて聡明で知力胆力腕力にも秀でていた聖君であった。
しかし、何時しか妲己の色欲に溺れ、堕落の一歩を辿る。
民に重税を課し、刃向かう者、意に沿わない者を徹底的に弾圧し、
油を塗った胴柱に火を付け池の上に渡し、罪人を歩かせて落ちるのを楽しむなど、
残忍な刑を科したと言われる。
度を過ぎた享楽「酒池肉林」の由来は紂王に有る。
彼は、肉を天井から吊るし林に見立て、
酒を溜めて池に見立て、欲しいままにこれらを飲み食いしたと言う。
一方で、殷伝統の神を重んずる考え方に反した行動も多かった。
そんなことから、諸侯や人民の失望を買い、
紀元前1550年頃から紀元前1100年頃まで続いた殷王朝 は、
太公望と周武王らの殷周革命で、
滅び去ってしまうのである。
ここで美女妲己の為に弁明しておく。
妲己悪女説は、
何時の世でも同じように殷を滅ぼした周が周朝を正当化すべく、
紂王を暴君、妲己を悪女にしたてあげた、というのが専らの通説だ。

もう一つ余談。
殷の正式な国号は「商」であった。
周によって滅ぼされた殷民族は宋に追いやられたが、
宋は豊かな土地ではなかった。
殷の人々は交易に活路を見出す。
これが「商業」、「商人」の語源という。

かくして、殷王朝の存在が歴史上の事実として明らかにされたが、
その後の研究で
殷王朝の前の王朝、夏王朝 の存在も明らかに成りつつある。
1990年までに、合計41回の二里頭遺跡が発掘された。
二カ所の宮殿址、住居址五十余、青銅器の工房址、大量の青銅器、
トルコ石の象嵌を施した青銅製の牌飾などが出土し、
夏王朝が二里頭に存在したとする確度が高まった。
夏王朝の期間は「紀元前2070年から紀元前1600年」とされている。
殷王朝に於ける甲骨の如き、夏王朝の存在を実証するものは見付かっていないようだ。
更に2004年には、
夏王朝の王城と見られる巨大な宮殿址が発見されたと報道されている。
しかし、前述の記号・符号・紋章らしきものと甲骨文との断絶は未だ埋まっていない。



引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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