書の歴史20/南宋の書

金に追われた宋は臨安(現在の杭州)に都を移しかろうじて宋王朝を維持した。
臨安遷都以降を南宋と呼ぶ。

南宋は、金国に対する莫大な歳貢にも拘らず、
揚子江流域の豊富な資源に恵まれ、
農産業は勿論、陶磁器、絹織物、印刷業、
更には進んだ造船技術による水上交通の発展等々、
各種商業の発展は目覚しいものがあった。
マルコ・ポーロが世界にその発展振りを紹介したのが臨安の都である。

やがて金を滅ぼした元によって南宋も滅ぼされ、
宋王朝320年の歴史を閉じる。


岳飛(1103-1141)

金に対する歳貢などの屈辱的な政策に対し、
岳飛達を中心にしたナショナリズム運動が盛んになる。
これに対し秦檜は言論を弾圧し岳飛を獄死させる。

杭州の岳廟、岳飛を祀った廟だ。





岳飛は、屈原と並んで民族的な英雄として多くの中国人に愛され敬われている。
岳飛の墓の前に縄を打たれ頭を垂れた四人の像が跪いている。 

 

岳飛を死に追いやった(とされる)秦檜と妻、そして、陰謀に荷担した二人の男、の四人だ。
岳飛を拝んだ人々は帰りがけに、その四人の頭を叩く、というより、
引っ叩いて唾を掛けて行く、そんな光景が今でも続いているのだ。

岳飛・草書平沙帖
相当に狂草を学んだのであろうが、
如何にも情熱家の岳飛らしい気合の篭った書だ。



米友仁(1072-1151)

米フツの長男、或る時期、蘭亭序を日に百回臨書したと言うが、
書人としては父に数段遅れをとるようだ。

尺牘

録示文字深荷勤意併俟


呉郡重修大成殿記(1141)
金軍の兵火で消失していた孔子廟を再建した梁汝嘉の功を称えた碑。




呉説(?)

高宗朝に於いて最も傑出した書人の一人として知られている。

遊糸書
一行一筆で書かれ行が変わるたびに筆を起こしている。
遊糸とは陽炎のこと。

草際芙?零落水辺楊柳歌斜




高宗(1107-1187)

徽宗の皇子で南宋初代皇帝。
高宗は徽宗と共に政治家としては評判が悪いが、
徽宗の血を濃く受け、特に書を愛し南宋の書文化の中心をなした。

仏頂光明塔碑(1133)
高宗、27歳の作。
この書を見ると、彼が如何に黄庭堅に傾倒していたかが読み取れる。



賜梁汝嘉勅書(1135)
高宗が重臣の梁汝嘉も誕生日を祝い贈り物を授けた勅である。
高宗29歳の書。
随所に黄庭堅、米フツの書風が見られ、二人の書をよく学んだ事が覗われる。
後世、筆が走りすぎて俗気が強い、との評がある。



范成大(1126-1193)

范成大は陸游、楊万里と当時の三大詩人と呼ばれ、
悠々自適な田園生活振りを詠った詩人として知られている。
紀行の名手でもあり、呉船録は陸游の入蜀記と共に名高い。

贈仏照禅師詩碑
阿育王山の名称を詠んだ自作の7言絶句。



陸遊(1125-1210)

南宋の最も著名な詩人。
官職を歴任した後、郷里にて悠々自適な隠遁生活を送る。


  
尺牘(1170)
友人に宛てた書簡。
高邁な人格が偲ばれる書風である。

伯共博士必已造朝久舟中日聴小児




朱熹(1130-1200)

中国史上屈指の思想家である。
常に硬骨な正論を吐き他学派との軋轢に終始し、
遂には罪籍を蒙り悲運のうちに没した。
後に、大師等を追贈され、後世には朱子と尊称された。
彼の打ち立てた朱子学は中国ばかりでなく、
アジア諸国の正統的な学問と位置づけられた。

劉子羽神道碑
行書に近い楷書であるが、
一見して、唐の太宗を連想する。
敬虔な学者らしく端正に終始している。





張即之(1186-1266)

沈滞気味の南宋末期の書界において、
一人気を吐いたのが張即之ある。
正統的な二王の典型から脱し、王羲之の書にさえも異論を唱え、
新風を引き吹き込み一種独特の書風を打ち立てた。
その為か、後世の評価は割れている。

この時期に中国にわたった日本僧達がこぞって張即之の書を持ち帰っていることからしても、
当時の中国での著名振りがうかがい知れる。


金剛経(1253)
張即之は敬虔な仏教信者であり、その生涯で幾つもの金剛経を書いている。
その中の一つが京都智積院に蔵されている。
堂々とした長文で一字たりとも緩みが無い。




杜詩断簡(1250)
張即之は平生から杜甫の詩を好んだ。
独特の切れ味が冴える。




李伯嘉墓誌
全長が6m、1206文字の大巻である。
謹厳では有るが点画の変化強弱を巧みに配し、
秀麗さと安定さを相持つ書風である。
諸家を学びそれを超越したのであろう。
京都藤井有隣館蔵。




方丈
京都五山の一つ、東福寺に張即之が書いたと伝えられる、
「方丈」「東西蔵」「首座」「三応」「書記」
の額字が蔵されているがその原本である。
禅院における職位を示し、部屋の前面に掲げられる。




文天祥(1236-1282)

20歳にして進士に合格した秀才であり、
武人の如き芯の強き忠臣として名高い。
文官で有ったにも拘らず元軍に最後まで抵抗した憂国の士だ。
宋の滅亡後、元の世祖に任を請われたが最後までこれを拒み処刑された。


虎頭山詩
いかにも文天祥らしい、意志の強さを感じさせられる書だ。




虚堂(1185-1269)
名を智愚と言う。


凌霄(1266)
虚堂82歳の作。
雄渾にして風雅、この味は仲々出せない。
京都大徳寺蔵。




引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国
創元社:書道入門
平凡社:書道全集第8巻、第10巻
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙


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