書の歴史23/明時代の書(2)

政治的には凋落の一途を辿った明王朝も、
文化面では爛熟期を迎えた。
書に於いても、
人間本来の姿を再認識しようと追求した時代である。
まず、董基昌が現われ、張瑞図、王鐸、傳山、等が、
長条幅に連綿草を書きなぐり、
退廃的な享楽的な世相を反映させた。


董基昌(1555-1636)
年少にして天才の名声が高く、残っている逸話は少なくない。
要職にあった頃、政争を避け官を離れたが、再び召され、
80歳近くまで要職にあったという。
書画の理論に通じ、
明朝文化の最後の絢爛期に存し、政治、文化の中心人物であった。
禅学にも傾倒し、哲学にも造詣が深かったという。


行章書巻(1603)
この自由奔放さは懐素を学んだに他ならない。
天真爛漫の極地とも言えよう。
江南の地に友の訪問を受け、
新茶を居れ、秘蔵の朝鮮の墨をおろし、新しい筆を用いて書いたと伝わる。
董基昌49歳、絶頂の時期の作品である。

癸卯参月在蘇之雲隠山房



李白・月下独酌(1626)
72歳の作、李白の詩意に全くふさわしい傑作である。

花間一壷酒独酌無相親



周子通書
董基昌にしては珍しい大字楷書で、
顔真卿の影響が骨気に漲る。



王述帖(1615)
61歳の作。
五つの古人の故事を書にしたもので、
魚の養殖法、酒茶論など身近な軽い小品である。
従ってその書も全くの自然流で気負ったものも無く何の作意も無く洒脱である。



日月詩巻(1625)
唐の李益の日の詩と、李白の月の詩を書いた。
除夜から元日の間に書いたと言う。
艶かしさを感じるほどの風情がある。

朝遊碧峯三十六夜向天壇月中宿



王鐸(1592-1652)
明王朝の復活を図って戦ったが武運拙く清朝に下る。
詩文、画、書、いずれにも長じていたが、特に書において、
董基昌と並び評される能筆であた。
一日法帖すると、一日需に服し、規則的な生活態度を崩さなかった。
一つの字は一万遍書かねば上達しないといい、書に対する熱情振りが
覗われる。

遊中條語(1639)
王鐸18歳の時に旅した想い出を後に書いたものである。
じぶんの住んでいる辺りの山が当時の山の姿に似ていることから追憶したらしい。



寄金陵天目僧・五言律詩

別去西江上江灘寓短亭




巨然・萬壑図巻跋
僧巨然の絵の後に書き込んだ跋である。
題巨然山水三弟所蔵奇巻

題巨然山水三弟所蔵奇巻




倪元ロ(王偏に路)(1593-1644)
北京城が攻められ落城の際、自ら縊って明朝に殉じた。
高節な人格から迸る、
筋の通ったいちまつの風韻を感じないでは居られない。


詩冊

此山非苟作風雅又威儀


題書

山自跏趺水自嘶数株霜酔草亭西





張瑞図(1570-1640?)
当時権勢を振るった宦官であった魏忠賢の愛顧を受けたが、
魏忠賢の失脚に伴い罪状を問われ野に下る。
従って、中国の於いては頗る評判が悪い。
後に、郷里で悠々自適の余生を送る。
書、絵、詩文をよくし、特に書に於いて独自の境地を開き異彩を放った。
彼の筆法は同時代の誰とも異なり、伝統を無視している。


王維・七言絶句44

太乙近天都連山到海隅




李白・独座敬亭山45

衆鳥高飛尽弧雲獨去


杜甫・江畔独歩尋花

東望少城花満烟百花高楼更可憐




傳山(1607-1684)
1644年、明は滅亡したが、
彼は黄冠を被り朱衣を纏い清王朝に反抗の意を示し、
諸国を流転し、牢獄へも投じられた。
その後、官職に推薦されるも固辞を貫いた。
諸子に通じ、書画もよくした。
伝統的な書に飽き足らず、自らの書風を打ち立てた。
「巧なるよりも拙に、媚なるよりも醜に、軽滑なるよりも支離に、
安排するよりも真率に書くべし」と子に伝えている。

老景信口 五言律詩

早起非真健研人臥不嘉




秋逕 五言律詩

同被秋光染淡濃殊自斟




許友
書画詩文、共に良くした。
友人が彼を「酒が第一、次に書、次が画竹、次に詩文」と評した。


送生長子帰白下 宿社門之作 七言絶句

尽日渓山半日雲野僧知是未帰門





引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国
創元社:書道入門
平凡社:書道全集第8巻、第10巻
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙


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