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「『リングス論争』はいかに語られたか」
クロニクル試論。(長文注意)




>ネットにおけるリングスへの誹謗中傷があまりにもひどくなってきて(96〜97ごろ)フロントとしてもかなり頭を悩ませていたんですよ。

>今の方が遙かに壮絶ですよ。というか今がピークでしょ


確かにこの『リングス論争』、ごく僅かに活字化はされていたが主導したのはネットである、というのが事実だろう。

だとしたら、これは誹謗中傷か事実に即した批判かは取り敢えずおいても、インターネットで作られた「ネット世論」に衛星放送(WOWOW)でも中継されている「権威」が揺るがされたという社会的現象、東芝クレーム事件の先取りであった、ということもできる。

ならばれっきとした大文字の社会現象、
新聞や学者の研究や、河上イチローの名著「サイバースペースからの挑戦状!」で取り上げられてもいいような興味深い現象といえるかもしれない。やや大げさか。

では、まず大風呂敷をたたんで、どのように「リングス論争」が始まり展開されたかを私の知る範囲で書いてみたい。ただし、私は97年中ごろからのネット接続ゆえ、その前はかなり不充分。皆さん、補っていただきたい。(敬称略)

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【前史(新UWF時代―1990年)】
*一般マスコミが「UWF現象」に飛びつき、彼らのレベルでは『真剣勝負』として消費した。それに反発し、佐山修斗が「同じ雑誌には載りたくない」と取材拒否、さらにジム生にはケーフェイ破りを次々と行い、現在小方イズムとして結実(笑)。夢枕獏は積極的に真剣勝負と触れ回ったとも、微妙な形で従来のプロレスの範疇だ、と語ったとも言われる。謎。

―――90年第2次UWF消滅、5月11日前田リングス旗揚げ戦――。

*西、本間、平、正道会館などの「さまよえる格闘家」が次々リングス参戦。
――92年12月22日藤原組分裂。

*1993年2/20発行「Number 306号」はプロレスと一線を画した「格闘技」特集だったが、ほとんどがリングス記事だった。夢枕獏は同誌で「(リアルファイトは)1991年の12月、リングスの有明大会において実を結んだといってもいい」
「すでに、シューティングが先行している道に、リングスが半歩踏み込んでいった」
「リングスは、ついにプロレスから片足を踏み出してしまった。残ったその片足を、割きに踏み出した片足に向かって踏み出すか、後方にもどすか。1993年は、その結論を迫られる」と書いている。
また平はインタビューで、リングス中量級に意欲を示している。

(これら「さまよえる格闘家」、外様日本人がいつ、どのようにリングスを離れたか、またどんな発言をしたのかが、ひょっとしたらカギ・震源地だったのかも?)



*93年6月22日付で発行された「別冊宝島179 プロレス名勝負読本!」に『鏑木十蔵』名で、「前田さん、自分が裸の王様だってことに気付いてほしい」という一文が掲載された(92年7月の前田―ウイリー戦評)。「あくまで真剣勝負に見せかけたプロレス、というシロモノだけはもう勘弁してほしい」「前田さん、自分ではわかってないかもしれないけどバレバレだよ」などの文章に、若きグリフォン(俺)は衝撃を受ける。
しかし、同誌は平然と他のリングス記事を載せ、また鏑木氏は(多分)この文だけで以後他の雑誌などに登場しなかったため、自ずから信頼性は低かった。
(しかし、何者だったのだろう。プロフィルでは「67年生まれの接骨医」だが)

*――9月21日NKホールでパンクラス旗揚げ。
「秒殺」という週プロ用語や「U最後の扉を開いた」という言葉は、今にして思うとリングスへの皮肉、批判の意味が込められていたのかもしれない。

*11月、第一回UFC大会。グレイシーブーム勃発。
U系の試合と、VTは展開が全然違うじゃないか!という声が出てくる。


*94年1月21日、リングス武道館大会前田は、トーナメント優勝インタビューで「このリング上でやるのは格闘技であって、残念ながらプロレスではありません」と発言、これに反発した?ターザン週プロ≒ベースボールマガジンとの軋轢が表面化。また同時にで前田が、パンクラス・Uインターに交流を呼び掛けたのに対し、パンクラスの返答が週刊プロレスで「船木、前田に絶縁状!」という表紙に。ちなみに担当は宍倉。

これと前後し、「格闘技通信」でのリングスの扱いが小さくなっていった。
上記の原因とみるか、『リングスは格闘技か?』が問われたとするかは今も論争のテーマ。
「格闘技通信とは一緒に歩んできたという気持ちが前田選手には強いでしょうね。悲しいなあ…」(略)「でも、僕らも選手や団体とのスタンスは真剣勝負ですからね。今、『格通』がナアナアになったら、きっと共倒れしますよ!」
(サダハルンバ谷川発言、紙プロ95年、第12号より)

*6月7日発行「別冊宝島FX 格闘技死闘読本」に「フルコンタクトKARATE」編集長山田英司の「前田日明を全否定せよ!」という談話記事が載る。内容は周知の通りなので、そで見だしを引用。「前田というのは、格闘技という名のプロレスなんですよ。格闘技という曖昧な呼び名は、八百長隠しのための便宜なんですよね。」

ちなみにフルコンは、その前のある時期からシュートボクシング、U系を載せることを止めていた。いつからかは私はしらない。
これが「エポック・メイキング」であることは否定できないだろう。対して「あれは前田にやり込められた山田の復讐」(竹内義和)などの批判も。

*同書では極真空手(当時)・黒澤浩樹のインタビューもあり、その中で、インタビュアーが修斗とリングスに関しての感想を尋ねた。修斗に関しては、「あのルールで突きや蹴りが完成されるのか」「グローブが実に薄い」「インに入って掴んで打撃を防いでいると、打撃はポーズだけになるのでは?」といった建設的な批判だったのに対して

------リングスについては何か感想はありますか?

「ロープに振らないから戻ってくることがないというだけで、プロレスでしょ?シューティングとはまた違うものじゃないんですか。前田さんもヒザの手術をして人工靭帯を入れて、大変だなとは思いますが、あれだけ腹が出ているのはやはり練習不足。練習しなくて、勝負に勝つなんてことは僕でなくても誰の常識からしてもあり得ないことでしょう。これは、あるレスリング選手だった人が言ってたことなんですけど、『寝技に持ち込めば、前田日明の首をへし折る自信が有る』と。この人はオリンピッククラスの人で、ふだんは大言壮語しない人だっただけに説得力のある発言でした。まあ、この発言がすべてを物語っていると思います」。

ちなみに、後に合同道場を持ったりした経緯から考えると、この「レスリング選手」とは太田章氏(現KOKジャッジ!)である可能性が高い。まあ「ふだんは大言壮語しない人」というから違うかもしれんが(笑)。

*7月10日「猪木とは何か?キラー篇」発行。
船木「(90年5月4日の前田戦後)その夜も、前田さんから電話あったんですよ。かなり酔っぱらってて『お前の攻撃をお客さんが喜ぶように俺が見せられなきゃダメなんだ』――」
この辺から「UWFもプロレスだった」が共通認識になる(俺だけ?)。
この件に対し?、前田はのちに「それもおかしな話ですよ!ちゃんと俺、説明しましたもん。それで『わかった』って言って来たんですから」と発言している(98,紙プロradical第4号)。

VTブーム、グレイシーに対し前田の評価は当時低く「本当にチョークスリーパーをやったら、気道閉塞ですよ」「(グレイシーを)技術的には俺はあんまり認めないです」「少なくともUWFやってきた連中なら全然心配ない」「シャムロックなんて(UWFで)何戦したの?」「(イワンゴメスがVTのチャンプだったと聞き)な〜〜んだ(その程度か)」などの発言が「猪木とは…」にあり。
リングスとVTはこの当時、やはり融合より対立概念としての面が大きかった。

また同書で夢枕獏は「前田日明にはですねえ、『まだ、やることあるじゃないですか、前田さん!』という感じですね」「もっと先に行ってもらいたいんですけど、パンクラスが先に行っちゃった」「とりあえず僕が望んでたのは、パンクラスがいまやっているようなところまで行ってしまうことだった」「今にして思うと前田の怖さというのは、プロレスの中にあって存在した怖さ」
グリフォン(俺)は、このインタビューを聞いて、上記「Number」でリングス支持だった夢枕氏が、距離を置き始めたことに多少衝撃を受ける。
さらに「僕は前田日明に対しては、現実の1人の悩める青年というスタンスを持ってますから」「彼なりに真剣に考えてやっていることですからね」「関わりが何もない場合ならいいんですけど、そうじゃないので……」などの夢枕の気遣いが、逆にリアリティを増していた(……)。

*10月31日、極真大会会場で前田が山田とニアミス、所謂「女子便所説教or暴行」事件勃発。


*95年 VTJ95、山本がヒクソンにトーナメントで敗れる。
前田、敵討ちだ!という声もちらほら上がったが、あまり大きな声ではなかったという気が。

*ダブルクロス社から「大山倍達とは何か?」が出版される。
その中でのインタビューで、紙プロ側が『実際にマス大山は外国でプロレスラーとは試合していないらしい』と取材成果を振ると、「それ書くの?ああ、やめて、やめてや本当」「一人ぐらい夢を与える人がいたってええやん」と否定的だった。それだけなら直接にはつながらないが、それを読んだ大槻ケンヂ氏が(旧)紙プロ14号のインタビューで

「前田さんも面白いですよね。プロレスの測定不可能な部分がイヤだとUWFを作り、でもUWFも測定不可能じゃないかということになったらリングスを作り、そのリングスは測定可能か不可能かというのがいま曖昧になってて、『格闘技通信』にも出ず『週刊プロレス』にも行けずという状態になってるときに、大山倍達について『いいじゃない、ああいう夢のある人がいても』って言ってるんでしょ。でもあれってそのまま、『リングスは測定不可能だよ』って言っちゃったようなもんなんじゃないスかね?」

---いや、それは僕はそうは思わないんですよ。そう思うかどうかは見る人の問題じゃないですかね。ファンタジーは測定不可能だけど、リングスのリング上が測定不可能かどうかは別問題って気がしますね

と、山口日昇氏がマジメなフォローをしている。珍しい(笑)。


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*96年04月01日 イビジェカフェ内部に「プロレスカフェ」誕生。
(私はここを最初に覗いたので、それ以前のネットプロレス前史、ニフティは知らない。ニフティ初期のメンバーだったメモ8さんによると、それで荒れることもしばしばだったという。インターネットの格闘技フォーラム史については
http://member.nifty.ne.jp/Puroresu-supremacist/articles/romrekisi.html
を参考に。)

08月27日「格闘技カフェ」が創刊。
この「分家」の1理由に「リアルファイト問題」があったことは、BNを読めばわかる。
例えばテーマタイトルを見ても

第 30回 96年09月09日 前田、パンクラスに発言2
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第 29回 96年08月28日 前田、パンクラスに発言
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第 23回 96年05月05日 前田日明他
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第 20回 96年03月25日 前田vs田村
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第  6回 96年10月29日 ハンについて(2)
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第  5回 96年10月17日 ハンについて
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などなどなど。ハンの関節技はオーバー、不自然ではないか、というのが重要な争点であったことが判る。


*97年 「ゴング格闘技」1月号で船木、「外との交流は考えている。リングスは対象外とは言い切れないが違和感が大きい。」「未だにヒールホールドを禁止していない団体は信じられない。」など発言。

*8月13日 前田が「パンクラスは邪魔なので潰したい。男の子なら口じゃなくリング上で勝負しろ。」など爆弾発言、高橋が呼応し「最近うちを潰すとか言ってる奴がいるけど、俺がそいつを殺す!」と対戦要求。

ここでの騒動は、フジテレビ番組「SRS」の清原プロデューサーの「パンクラスが【リングスがフェイクだと】言っている」との発言発端だと前田は語っている(紙プロRADICAL6号)。
極真の松井館長が間に入り、詫び状を取ったとか取らないとか……詳細は判らず。これと直接の関係があるかは不明ながら、パンクラスはその後清原氏との関係を理由に「SRS」を撤退。
http://www.so-net.ne.jp/pancrase/office/faq/001.html#srs

*8月24日 有明コロシアム、山本、ミーシャらがVTを行い敗れる。

*リングス、パンクラス両公式サイトなどで、批判の応酬が日常的に行われるようになる。

最近知ったのだが、「女子便所掲示板」はその公式掲示板での悪口を「それはこっちで書け!ここなら反論はしてやる!!」というのが事の始まりらしい。このコンセプトは、今ではその名残すらないが(笑)、「八百長掲示板」も同様である。

10月11日、PRIDE-1、高田ヒクソン戦。高田の敗戦を見た前田が「借金してもヒクソンとやります!」と宣言したが、交渉は不調、実現せず。これも「ヒクソンは逃げた」「いや、前田がやる気が無かった」と論争の種に。

10月14日、前田が週プロの宍倉、格通の安西を名指しで「問題ありますよ!」「業界の害虫」と批判。理由もさまざまに憶測される(紙プロRADICAL6号など)。
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98年以降は皆さん、ご存知の通り。だいたい、こんな感じではないかなあ。節目節目は確かにあるけど、やはりこの論争は、誰とは特定できない「空気」というか「世論」が段々膨らんでいったようだ、というのが一応の結論。これも不完全な叩き台であるが…。
(リンパン問題についてはDevilockさんの書きこみ「15YEARS」を参考にした。格FAQの「カキコの殿堂」参照。)

01:ニフティのFBATLで、1番大騒ぎになったリングスのヤオガチ系論争は、93年の前半ですね(私がROMし始めたのは94年位からなので、リアルタイムでは読んでませんが)。当時リングススタッフだった方もいて、論争にも多少絡んでます。「フロントとしてもかなり頭を悩ませていた」というのは、このことを指すのかもしれませんね(年代的にはズレてるけど)。過去ログは未だに読むこと可能です(会員以外が読めるかは調べてません)。それからも局所的なモノはしょっちゅう起きてますが、ニフティは基本的にヤオ話をしずらい状態が続いていますね。それゆえの秩序があって、ヤオ系以外の話なら非常に書きやすいですけど。 100/01/03 06:45:08


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