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3月某日
「放浪の天才数学者エルデシュ」P・ホフマン(草思社)

数学の才能はとんとないが、数学者の伝記はすきだ。
それはとりもなおさず、むかしの「プロレスラーひみつ図鑑」にあったような、化け物たちの恐ろしいエピソード、凄い逸話を知ることが出来るからだ。
そしてこのエルデシュ、鞄ひとつで世界を飛びまわり数々の証明、予想、問題を残した男。そして…
前田が「一流のリングスで勝ちあがったら超一流」と言っていたが、あの変人の巣窟たる数学界で「あの人は変わってるなあ!」といわれた男だもん、そりゃ面白いや。

「ふむ、いい証明のヒントを思いついた。彼に電話しよう」
「先生…時差がありますからアメリカは午前五時ですよ」
「それなら、確実に家にいるな」

他のセンセイがたも負けておらん。
「僕の乗ったタクシーのナンバーが『1729』なんてつまらない数だったよ。憂鬱だ」(そもそもこの発想がよく分からんが)
「いや、面白い数ですよ。2つの立法の和として二通りに表せる中では、最小の自然数ですよ」(完全に意味不明)

最高の数学者になると九九が分からなくなることもあるようで、
「7X9は…61は素数だから除外、65は5の倍数だからあり得ない。67も素数…うむ、残るのは63だ」

なんなんだか(笑)。
こういう奇人エピソードってのは、やっぱり「蓄積」と「語り口」が重要なり。


3月某日
北野武「BROTHER」を見る。
みなに言われているが、だいぶ「分かりやすく」なった。それに否定的な人もいるが、決してそれは間違いではないと思う。しかし、その分必要になる「きちんとした伏線」「客を驚かす意外な展開」がない。北野映画は厳密な脚本がない、大まかなストーリーを元にシーンをアドリブで作る、というのがウリだったが、芸術映画としてはよくても「俗な」エンターテイメントではキツイのだ。

3月某日
青柳昌『ペンギンたちの不思議な生活』(講談社ブルーバックス)
個人的にペンギンというのは品があって好きだ。
そこで読んでみる。むかしの「○○のひみつ」のようなもんで純粋に知識が増える楽しみがある。その分考えることはないけどね。
「ペンギンは泳いではいない。水中を飛んでいる」「南極のペンギンは人間を恐れずなつくが、ガラパゴス系は人にいじめられているので懐かない」
とか。しかし、鳥の集団ってそういう記憶を保てるのかね?
文春から、別の著者が『ペンギン、日本人と出会う』という本を出したらしい。

浜崎あゆみのCDを借りる。この前HPでlove2000(hitomi)を彼女の曲といって恥をかいた(笑)。でも聞いてみると似てたのでしょうがない(??)


3月某日
ヒカルの碁」で人間の名人とかつての名人・幽霊の佐為がネット碁で対戦という展開。幽霊が、(頼りになる)ドラえもんでもあり、(うっかり者で人間に甘える)オバQでもあるというのがこの作品の成功だが、と同時に現世人ではないために様々な制約があるという「悲しみ」の部分があるのが人気の秘密ではないか。

3月某日
高阪正尭「不思議の日米関係史」
高阪は同姓のリングス選手と同様、その「明晰さ」が群を抜いている。
例えるとこっちが「無知」という陣地に立て篭もっているとあっちは、パチリパチリと布石をそれと判らないように打ってくるち、気づいた時にはこちらの「無知」はぐるりと包囲されごく自然にテーマを理解してしまう…そんな感じだ。

ペリー来航、日本開国に至る過程などこちらはもうなんとなく史観が出来あがっているのだが、高阪は当時の生糸の国際相場、軍艦の性能、イタリア情勢、鯨の需要…意外なトピックをしのばせては、それを一本の道として最後は成立させてしまう。
また、彼の凄さは抽象的な理論化と、歴史の個人個人のパーソナリティへの着目という矛盾を、逆に自由に操っていくところだ。
「井伊直弼は開国主義なのになぜ安政の大獄をしたのかというが、もともと井伊は伝統主義者なのである。そして伝統主義者だからこそ保守的な政府の中での支持を固めることが可能だったのだ」などというのはもっともというべし。

ひとつだけ不満がある。この好著の最後は、「著者逝去につき未完」なのだ・・・


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