「風雲児たち」 みなもと太郎    潮出版  

この漫画の名を知っている人は殆どいないだろう。それも無理はない話で、「コミック・トム」という中堅出版社が細々と出している月刊誌に連載されているのだ(註1:失礼)。この雑誌、よほど大きい書店へ行かないと見つけることは不可能である。しかし、「トム」は編集部の制約が非常に少なく、漫画家が好きなことをやれるため、それを求めて驚くほど有名な作家が集結している。
 しかも自分の思い入れが深いテーマを書くためか、この雑誌から生み出される漫画史上の傑作の数は、本当に眼を見張るものがある。手塚治虫「ブッダ」横山光輝「三国志」星野之宣「ヤマタイカ」・・・・・
ちなみに今(註2:1994年)現在連載しているのは松本零士、横山光輝、諸星大二郎、安彦良和、藤子不二雄A、いしいひさいちといった、文字通りトップクラスの人気漫画家である。それらの面々に対して、10年以上も連載を続けているのだからその力量、推して知るべしである。
 
この作品は、江戸時代を描く歴史漫画である。さて、ここで従来の歴史漫画のあれやこれやを思い出した方はまずそれを忘れて頂きたい。歴史漫画なら少々読み込んでいる私が保証するが、今までの歴史漫画のどれとも似ていない、まったくユニークな存在である。

・ ・・・・ちょいと自信無いから、ここらは未整理のまま書く。
なんつーか従来の歴史漫画(映画・小説も含めて)は、例えば劉備と関羽がどう動いた、それに対し呂布はこう対処した、という事件の物語(ストーリー)が中心な訳ね。もちろんそれは悪い事じゃないし、「風雲児たち」の魅力の多くもそこに有る、けどそれ以外にもこの漫画では、「そういう事件はどういう過去の経緯から生まれて、未来に向けてどう行った影響を与えていったか」――そういう所にまで眼がいってるんだな。例えば、伊能忠敬や間宮林蔵(覚えてる?)の活躍は江戸時代の日本独自の数学の発展、断片的なロシア情報が生んだ北への関心、蘭学の日本への定着、といった物から生まれ、それがシーボルトを経て西洋へ伝わり、諸外国の関心を刺激し・・と様々な連鎖反応をおこしていく。この作品では、その過程を全て描いていこうとしているんだな。

 ……自信出てきたから文体を戻すが、作者のこの試みは歴史「物語」と共に歴史「書」としての漫画を描いていこうとすることに他ならない。そのためにナレーションが多用されたり、ときには作者自信が3枚目のキャラクターとして登場したりする。手法的には確かに「邪道」だが、うるさく感じないのはテンポの良さ、ギャグの挟み方、内容の着眼点など、総じて作者の技術の確かさのゆえだろう。

 この漫画は、幕末の英雄達を描く……筈だった。あくまでもその前フリとして、幕末に志士たちを出した薩摩・長州・土佐らは実は関ケ原で……という所から始まって、幕末に影響を与えた事件をピックアップし、そこで一気に幕末に持っていこうという予定だったのである。
 ところが、歴史の原因と結果というものは錯綜し、絡み合い、一見全く無縁に見えるものが実は関係していたりと、恐ろしく底が深い。その魅力に、作者のみなもと太郎はとりつかれてしまったのだ。
 
 幕末の尊皇攘夷運動の原動力である水戸藩の朱子学を描かねば。開国論は蘭学から始まるから「解体新書」を取り上げよう。大国屋光太夫を例に日本と海外との交流を・・・・・・
なんてな事を続けていたら、22巻まできてやっとこ天保の改革が終わりかけたとこまでしか来ていないのだから、その遅さは大変なものだ。そのかわりに、取り上げた事件は微に入り細にわたってあらゆる角度から描かれている。
 
 例えば18巻「シーボルト来る」に紹介されているこんな話がある。
シーボルトは鎖国の日本に入国するため、ドイツ人なのにオランダ人だと偽っていたのだが、「発音がおかしい」と幕府の役人が疑いをもつ。
するとシーボルトは、潅漑で国土を作った平地だけの「、、あの」オランダの、「山岳民族です」といってごまかしたそうだ(笑)。こういう話なぞは、まさにデティールにこだわったからこそ、予期せぬ笑いとして生きるのだ。(逆にみなもと太郎が興味を持てない事件はさっさと省略されてしまう。例えば八代将軍吉宗は回想シーンのみの出演、大阪夏の陣に至ってはなんと2ページ!で終わり)
1〜3巻はさっき述べたように関ケ原前後の話だが、この辺は極端な言い方をするなら、司馬遼太郎史観の焼き直しといっていい。(註3:失礼な表現だが、今もこの意見は変わらない)。もっと極端にいえば、1〜3巻は読まなくともいい。4巻では、江戸時代を通じて最大の名君、会津藩祖保科正之の話で、これは面白いが。

この漫画が独自のスタイルを確立するのは、5巻からの「蘭学黎明篇」であろう。前野良沢・杉田玄白の解体新書グループと、エレキテルの平賀原内や「海国兵談」の著者林子平らが、鎖国体制の中で未知の外国に目を開いていく様が軽妙な笑いを交えて描かれているが、特筆すべきは老中・田沼意次が開明的な指導者として描かれている事である。田沼意次を汚職まみれの腐敗政治家と見る視点は、すでに学者たちの間では消滅しているが、それが大衆的な読み物の中に生かされているのを見たのはあまりない。この後は、田沼を追い落とした松平定信ら(彼への評価は低い)が中からの視点を、最上徳内らの北方探検隊やロシアに漂流した大国屋光太夫らが外からの視点をそれぞれ与えている。決まった主人公を持たず、複数の登場人物が平行した物語を作って行く形式を「グランド・ホテル形式」というそうだが、ともすれば散漫になり易いこの形式も、この漫画では最大の効果をあげているといっていいだろう。
  
その中でも、是非読んで欲しいのが20巻「平八郎挙兵す」である。「大塩平八郎の乱」は今の歴史教科書では数行で終わるのだろうが、その男がいかに勇敢であったか、いかに自らを律することに厳しかったか、いかに信念に忠実であったか。さまざまな些事を丹念に拾いつつ、事件と人物の全体像を鮮やかに切りとっている。他のいかなる漫画家も、大塩を「風雲児たち」20巻以上に描くことは不可能だろう。
ちょうど1巻で独立している点からも、大塩篇をすすめたい。
(基本的に1994年に書かれたものですが、一部補足・改訂しています)

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