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大正10年の異種格闘技戦資料


中央公論に載った観戦記(JPEG写真の圧縮。著作権フリー)



サンテルの相手・庄治彦男さんのご子息へのインタビュー


2006年に出た、この事件を追った書籍


流智美訳・監修「鉄人ルーテーズ自伝」より

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ジョー・マルセビッチが仕切っていたサンフランシスコはそれほど大きなマーケットではなかったが、兄貴分のレイ・スチールがトップで活躍していたことで、最初からメーン、セミの待遇を受けた。
マルセビッチ自身、エド・ルイス、ジョー・ステッカーらと同世代のプロレスラー出身だったから、私の技術を非常に高く評価してくれ、近郊のオークランドでプロモーターをしていたかってのライト・ヘビー級王者・アド・サンテルを特別コーチにつけてくれた。

アド・サンテル……ジョージ・トラゴスと並び、1910年代から1920年代のライト・ヘビー級で無敵を誇った伝説的な強豪だ。関節技の技術にかけては、多分トラゴスと互角、いやそれ以上の評価を得ていた男である。日本に柔道という強い格闘技があると聞けばわざわざ日本にまで出向き、それを実力で制圧してきたことは今でも日本柔道界の語り草になっている。

サンテルは当時既に52歳だったが、その実力はいささかも衰えておらず、彼自身、自分の持っていた様々なテクニックを私に教えるのが楽しくて仕方がなかったようだ。体中あちこちがいたんで試合には影響があったが、もちろん私もサンテルとのトレーニングが楽しくて仕方がなかった。1日に4、5時間、一週間に5,6日、これを5カ月間続けたのだから私の技術に進歩がないはずはなかった。ジョージ・トラゴスに教えてもらったテクニックがプロレスの全てだという風に思っていた私に、プロレスの奥に底はないということを教えてくれたのがサンテルだった。サンテルに教えてもらったのは主として”フック”(hook)と呼ばれている、関節技の中でも最も高度で危険なものであったが、のちに世界チャンピオンとなった時、何度このサンテル教室に感謝したかわからない・・それほどサンテルのフックは実戦で役に立った。

ある日、私とサンテルが地下のトレーニング・ルームでスパーリングをしていた時、ジョー・マルセビッチがこれを遠くから”のぞき見”していた。サンテルは私の左腕をまき込んで折れる寸前にまでねじ曲げ、私も思わず痛さにうめき声をあげた。その時にマルセビッチが血相をかけて入りこんできた。

「アド、なんてことをするんだ!テーズは大事なメーンエベンターなんだぞ!いい加減にしてくれ!」

私とサンテルは顔を見合わせて大笑いした。連日サンテルの技を受けていたことで、事実私は余りの痛さに4、5試合を欠場したこともある。これはプロモーターのマルセビッチに対しプロとして実に失礼なことだった。しかし本当のフックを身に付ける代償としては、このくらいのことは覚悟しなければならなかった。

夢枕獏「鬼踊りで候ふ」(波書房、1992)収録
「明治・大正の異種格闘技戦」より。

(引用部分はサンテル来日前の話。
いかにかれが柔道とかかわったかというくだりです)

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アドサンテルが最初に闘った日本の武道家が野口潜竜軒である。
野口は柔道家ではない。古流柔術六派の調書を集めて作った”神合六合流”帝国尚武会の総帥である。

この野口が、アメリカで、アド・サンテルに敗退した。
野口に勝ったサンテルは、その時から柔道世界チャンピオンを自ら名乗るようになる。
当時、日本柔道が、世界的に有名になりつつあったことから、それをサンテルが利用したのである。
この噂を耳にして怒ったのが、講道館の伊藤徳五郎である。 伊藤は、すでにアメリカに渡り、何人ものレスラーたちと異種格闘技戦をやっている実力者である。
「柔道世界チャンピオンを名のるのは、自分に勝ってからだ」 そう言って、伊藤はアド・サンテルに挑戦したのである。
その試合が行なわれたのは、大正五年(一九一六)五月、サンフランシスコであった。
一回二十分の三本勝負。
おそらく、両名ともジャケットを着ない勝負であったか、あるいは伊藤のみ、ジャケットを着ての闘いであったかもしれない。
一本目は、時間切れの引き分け。
二本目は、伊藤が後方からサンテルの胴に脚を巻きつけ、スリーパーホールドに行ったところを、アド・サンテルが、伊藤を背負ったまま立ちあがり、おもいきり後方に倒れたため、頭を打って脳震盤をおこした伊藤のKO負け。
三本目は、そのまま試合ができず、戦闘不能で伊藤の負け。
結局、サンテルの勝ちとなった。
このふたりによるニ度目の勝負が行なわれたのが、翌月のサンフランシスコである。
ルールは前回と同じである。
一本目とニ本目は、時間切れで引き分け、三本目を、伊藤が勝っている。
勝利したその時の技の名が、資料には、”首絞め”と、短く書かれている。
この首絞めと何げなく書いてあるところがおそろしい。首絞めというのは、ようするに文字通りに首を締めて勝ってしまったのだろう。暗い戦懐が背を走る思いがする。
この当時の、日本柔道家の異種格闘技戦の試合結果を見ると、”腕への関節技””足への関節技”というのが意外と多い。
どろどろとした、ねちっこい試合が、ガス燈の下で行なわれたのであろう。
さらに、このふたりは、三戦目を闘っている。詳しい記録は残ってないが、両者引き分けという結果であったらしい。

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