温家宝首相への公開質問状
南京大虐殺を証明できますか?


「南京事件の真実を検証する会」監事 茂木弘道

 4月11日に来日した温家宝首相は12日国会で演説をした。今度の訪日が「氷をとかす旅」になることを願っている、といった直ぐそばから「日本が発動した中国侵略戦争によって中国人民は重大な災難に見舞われた」とお決まりのウソを口にしていた。
日中戦争(正確には日支事変)は、中国共産党の策謀によって中国軍が盧溝橋で日本軍攻撃をしたことをきっかけに始まった。この小紛争を「あくまで局地解決を避け日中全面衝突に導かねばならない」「局地解決や日本への譲歩によって中国の解放を裏切る要人は抹殺してもよい」というコミンテルンの指令にそって停戦協定破りを次々に行ない、ついには全面衝突に発展させたのも共産党である。
今ではこれを裏付ける資料がほぼ完璧にそろっている。にもかかわらず未だに「日本が発動した中国侵略戦争」などとぬけぬけといい、それを多くの日本の国会議員がご尤もと聞いているのだから情けない。
 ところで、大嘘といえば「南京大虐殺」なる大嘘をいまだに唱え、南京に「虐殺記念館」を建ててグロテスクな宣伝を行なっているのが中国である。日中友好を唱えながらこんな悪宣伝を一方で行なっている中国政府の欺瞞性に怒りを覚えている人も多いであろう。
せっかく首相が日本に来てくれたのだから、この機会にこんな矛盾したことをしているのはおかしいのではないか、最新研究によれば、南京虐殺などありえなかったことが判明しているが、中国政府の責任者として、この問題をどのように考えているのかを聞こうというのが、添付した公開質問状の主旨である。

温家宝は何と答えるか

 今年は南京事件70周年にあたり、10本もの南京関連の映画の製作が企画されていると伝えられるなど、ウソが国際的に広く認知されかねない危機的な年である。これに対する反撃として「南京の真実」(仮題)というウソを暴く映画をつくろうという桜チャネルの水島社長が提唱したキャンペーンに良識派が結集して着々と制作が進行しつつある。
この動きとも連動しつつ理論的にそして包括的に南京事件の実態を解明し内外に広くこれを広めていく良識派を結集した組織をつくろうということで結成されたのが、「南京事件の真実を検証する会」である。加瀬英明会長、藤岡信勝事務局長以下総勢13名の委員によって、3月13日に創立された。小生も委員の末席に連なった。
 4月9日、添付の公開質問状の中国語原文を中国大使館気付で温家宝首相宛に発送した。同時にこれの日本語版、英語版を加えた、3カ国語版の公開質問状を添付した報道関係者向けのプレスリリースを主要媒体各社に送付した。また、外国人記者クラブの80名のメンバーに対して、英文ニュースリリースを中国語版・日本語版質問状も添付して配布した。既にいくつかの海外メディアより、インタビューの申し入れなどの反響が来ている。
 温家宝首相からの回答は未だ来ていない。それは当然のこととして理解できる。何しろ、うそを基に組み立てられた南京大虐殺などという虚構を擁護弁解などできるはずがないからである。
では、あれは間違っていましたと正直に過ちを認められるかといえば、それは絶対にできることではないだろう。もし温家宝首相本人に良心があったとしても、そんなことを認めてしまったら、虚構によって成り立っている共産主義体制の根本否定につながってしまい、体制崩壊をもたらしかねないからである。
 したがって唯一採りうる対策は黙殺であろう。しかし、これは公開質問状である。世界の人々がこの問いが温家宝首相に対して発せられたことが知っている。
黙殺すれば、1)中国政府は誠実性を欠いた無礼な国家であり、2)中国政府が問いに答えられないということは、南京事件が虚構である証拠であるということが世界の多くの人々に認識される。
公開質問状は、五つの問いと一つの要望から成り立っている。以下質問状の順に若干の説明を加える。

@南京虐殺に触れない毛沢東

 第1に挙げられた、毛沢東は生涯ただの一度も南京虐殺などということをいわなかったということであるが、これは事実である。彼の選集のどこにも出てこないし、書簡集にも出てこない。最近世界的な話題となっているユン・チァンの『マオ』という大著があるが、そこで毛沢東を「南京虐殺を言わなかった」と非難している。この本は500人のインタビュー、そして情報公開されたソ連の文献を多用するなど貴重な情報を含む価値の高い書ではあるが、日本に関しては極めて陳腐な侵略国家観から抜け出ていない。
毛沢東が南京虐殺に触れなかった理由は簡単である。そんなことはなかったからである。彼が情報に疎かったのではない。共産党は延安に逃げ込んだ時でも全中国に地下組織、情報網を張り巡らせていた。南京戦時は国共合作時でもあり、首都南京の情報は十分に得ていた。そこで起こったことは、彼が『持久戦論』で述べている通り、「日本軍は包囲は多いが、殲滅は少ない」すなわち、捕虜原則として解放していた日本軍であった。
 もし世紀の大虐殺が本当に首都南京で行なわれたとしたら、毛沢東がこれを全く口にしないなどいうことはどう考えてもおかしい。

A300回の記者会見

 このことは東中野教授が台北の国民党党史館で発見した「極機密」の印が押された『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』に書かれている。『南京事件―国民党極秘文書から読み解く』(東中野修道著)(草思社)に詳しく紹介されている。   
「1937年12月1日から38年10月24日まで、漢口で行なった記者会見では---参加者は1回平均50数人であった。会見は合計300回開いた。」「各集会に参加した外国人記者と、外国駐在公館の職員は毎回平均35人であった。」
と書かれているように、南京戦を挟む一年足らずの間に300回の記者会見を開いた。しかし、この300回の記者会見において、国際宣伝処はただの一度も「南京で日本軍が市民虐殺を行なった」だとか「捕虜の不法殺害を行った」だとか言う発表をしていない。また外国人記者から、「南京虐殺」に関する質問が出たという記録もない。
 もし本当に南京で大虐殺が行なわれていたと仮定した場合、日本非難を主目的に行なわれていた国際宣伝処の記者会見で、全く虐殺に触れないなどと言うことがありうるであろうか?
国際宣伝処は南京で何が起こったかを全然把握できない超無能宣伝処であったとでもいうのだろうか?もちろんそんなことはない。南京陥落後も『ラーベ日記』に名前が出てくる龍、周、韓、羅などの将校を始め多くの将校が安全区に隠れていて工作活動を行なっていた。
また中国政府の顧問であることが判明しているベイツ南京大学教授(国際委員会委員)など外国人の協力者も存在していた。彼らから大量の情報が伝わっていたはずである。
 記者会見で「南京虐殺」をいえなかった唯一の理由は、それをいえる確かな情報がなかったからであると考えるしかない。
 そこで宣伝処が実際に取った方策が、ティンパーリーという秘密工作員に中立の新聞記者であるという偽装の下に『戦争とはなにか』という南京虐殺本を海外で出させることであった。これは100%国際宣伝処の活動の一環であったことが「極秘資料」に書かれている。
因みにティンパーリーはその後アメリカに本拠を置くTrans Pacific News Service というこれも中立を装ったニュースエージェンシーの責任者をやっている。まさに謀略の下手人であった。

B南京の人口は増えていた

 虐殺が起これば人口はその分減少する、ということは小学生でも分かる単純且つ絶対的な真実である。
 既によく知られるようになったが、国際委員会の活動記録というべきものが「Documents of the Nanking Safety Zone」(以後Documentsと略称)と題して1939年に上海のKelly & Walsh 社から出版されている。これは中国政府の国際問題委員会が監修して出版されたものであり中国政府としてもむしろ自分に有利なものとして出したのであろう。
 この本に南京の人口がどう載っているかといえば、陥落前の王固磐警察長官発表の20万を前提としているが、12月中ずっと20万と記録されている。   
もちろん混乱のさなかで人口統計など取れるはずもない。しかし、肝心なことは逃亡した南京市行政府にかわって安全区に集中した南京市民の面倒を見た当事者である国際委員会の記録だということである。が少なくとも人口減少が起こるような市民虐殺はなかったと認識していたからこそ20万と記録し続けたのだろう。
 それだけではない。丁度南京陥落から1ヵ月後の1月14日には人口25万と記録され、これ以後は25万とされているのである。潜伏兵士あぶり出しのために日本軍が自治委員会と協力して行なった良民証の発行作業の結果、これまで予想されていたよりも人口が多いということが分かり、国際委員会が25万に上方訂正したものである。
虐殺によって人口減が起こっているという認識が少しでもあれば、こんな上方変更は簡単に行なうはずもない。誰も減少などは考えていなかったというのが間違いのない状況であった。
 中国政府の監修で出されたDocuments に人口増と記録されていることを指摘されて、温家宝首相がどう驚きどう弁解するか見たいものだが、多分黙殺しかないだろう。アイリスチャンのように、安全区外に30万の人口を人工的に捏造しておいて、これが虐殺されたと捏造でもするしかあるまい。(こういうのを自作自演という)

B26件の殺害のみ

 人口減を引き起こすような大虐殺はなかったかもしれないが、多くの虐殺はあったのではないか、と思う人もいるかもしれない。
それすら国際宣伝処が証拠として提出できるほどのケースがなかった、というのが300回記者会見の所で述べた趣旨であるが、ではDocumentsではどうなっているか。わずかに26件しか記録されていないのである。
 安全区というのは南京の一角に設定されたのであるが、3.9平方キロと、東京都でもっとも小さい中央区の40%弱の面積であった。ここに20万の難民がひしめき合っていたのである。ここで起こった暴行殺害などは、40万の目から逃れることは極めて困難であっただろうと推定できる。
真っ暗闇の夜間は郭岐が書いているように日本兵はほとんど外出できず、中国潜伏兵の天下であったので、もし日本兵が不都合をするとすれば日中なので、余計目に付いたはずである。
多くのクレームが中国人から国際委員会に持ち込まれ、委員はその根拠を確かめる余裕もないままそれをタイプして出来上がったのがDocumentsの中の「不法行為の事例」である。したがって、ここに記録されているものは、中国人が一方的に言ってきたことを列記しているので、それが本当のことかどうかはかなり怪しいものが含まれている。
 そうしたもの全てを含めて、殺害に関する申し立ては合計26件である。このうち、目撃されたものは1件のみ。しかもこれは誰何されて逃亡しようとした兵士が殺害されたもので、「合法的なもの」と注記されているので、殺害からは除くべきものである。
すると、残りは25件となり、しかもどれも目撃者なし、という風聞に近いものとなるのである。殺人は死体が残るが、死体のことが記されているのは3件のみ。ただし、その犯人が日本兵かどうかは特定されていない。
 中国政府機関が監修して出した本に載っている殺人記録ですらがこの程度のものなのである。
実は東京裁判で、上海派遣軍法務官であった塚本浩次氏が「12月から1月までに調べた件数は10件くらいで殺人が2-3件あった」という趣旨の証言をしている。
法務官のところには憲兵が捜査した不祥事は全て上がってくる。風聞のもの25件(死体記述3件)というDocumentsの記録と、2−3件という塚田法務官の証言とはかなり符合しており、実態はどんなに多くても1桁ということだったと推定されるわけである。
 この問いに対して、中国政府は被害者と「称する」人達の証言を基にこれに反論するかもしれないが、当時の記録との整合性がなさ過ぎるものは話にならない。特に、質問状2、3、4、との整合性が全くないような「証言」は、事実とみなすわけにはいかない。

D虐殺を証明する写真なし

 5番目に証拠写真のことが挙げられている。アイリス・チャンの本を初め多くの南京事件告発本には虐殺証拠写真なるものが載せられている。南京にある「大屠殺記念館」その他中国各地にある「歴史記念館」に虐殺写真が掲げられている。
しかし、『南京事件―「証拠写真」を検証する』(東中野修道・小林進・福永慎次郎著)で、こうしたところに頻出する写真143枚を厳密な科学的な検証を行なった結果、ただの1枚も南京虐殺を証明する写真がないということが明らかにされているのである。。
 ほとんどの写真は国民党中央宣伝部が1938年7月に出した『日寇暴行実録』とティンパーリの『戦争とは何か』の漢訳版である『外国人目撃中の日軍暴行』がその源流で、そこに掲載された写真がいろいろな書籍などに転載されるようになったのである。
一部の写真は、前述したティンパーリーが責任者を務めるTrans Pacific News Service からニュースリリースとして配信され、有名なAPまでがこれを使った。 
日本軍将校が十字架に縛り付けられた捕虜を使って銃剣の練習をしていると称する写真である。これはおかしいという抗議を受けたAPは最初は正当性を主張したが、とうとう非を認めてこれを取り下げたという事件が、『Lowdown』というニューヨークで発行されていた雑誌の1939年1月号に載っている。
この写真は、最初軍閥非難のプロパガンダ写真として上海で絵葉書として売り出され、次いで北方の共産主義者の捕虜虐待の写真として使用され、今度は満州での反日プロパガンダ写真として登場、次には紅軍掃討作戦のときの共産主義非難プロパガンダに使われ、APでは日本軍の暴虐写真として使われた、ということが『Lowdown』に書かれている。
すでに戦前そのうそがアメリカで暴かれていた写真がその後も死なずに生きていて、南京虐殺証拠写真に使われるという、信じられないようなことが行なわれてきたのである。
アイリス・チャンの本には元日本兵村瀬守保氏が撮影した揚子江岸に浮かぶ死体群の写真も出ている。この写真は、新河鎮付近において45連隊第11中隊との激戦に敗れて河に飛び込んだ兵士が流れ着いたものであることが判明していて、虐殺でもなんでもない。村瀬氏は「私達輸送部隊はなぜか2週間ばかり城内に入ることを許されず」とさも虐殺を見せないためのようなことを言っている。 無知も極まれりである。そのとき130名ものジャーナリストが城内では大車輪で取材をし、写真を撮りまくっていたのだ。
そして実はこんな虐殺写真を撮りました、と戦後になって言い出した人も皆無なのである。
もし、中国側でこれが証拠だという写真があるのなら、是非お出しいただきたいと質問状で言っているが、まあ出しようがないだろう。北朝鮮が横田めぐみさんのニセの骨をだしてきたように、ニセ写真を出してくるほど中国は愚かではないだろう。

「南京屠殺記念館」を閉鎖せよ

 これまで見てきたように中国側が5つの疑問点に答えることはまず不可能であろう。どう考えても「南京大虐殺」などということは存在していなかったのであるから。
 もし中国政府が日中友好を本気で願うと言うのなら、われわれの疑問に直接答えなくてもよいから、まず「南京大屠殺記念館」という悪質反日宣伝施設を閉鎖すべきである。
こんなウソをベースにしてどぎつく日本非難をしていながら、日中友好とは一体どういうことなのか。まともな日本人に止まらず、北京オリンピックのために世界から集まるであろう人々がこれを見たら、重大な疑念を中国政府にもたざるをえなくなるであろう。
このウソまみれの「大屠殺記念館」を世界遺産にしようなどと中国政府が本気で考えているのであったら、とんでもないことである。それは自殺行為であることを警告しておこう。
何しろ証拠は十二分にそろっている。南京虐殺の大嘘を世界中に知らせることは然して難しいことではない。いつまでもウソをつき通せるものではないことを知るべきである。
 
もてき・ひろみち
昭和16年年東京都生れ。東京大学経済学部卒業。富士電機、国際羊毛事務局を経て、平成2年(株)世界出版を設立し、代表取締役。日本の漫画を英語に対訳した日本語学習/日本情報誌「漫画人」をアメリカMangajin, Inc. と協力して発刊。全米の有力大学などで好評を博す。発信型の英語学習誌として日本国内へも販売。現在は翻訳・日本情報海外発信業務の傍ら講演執筆なども行う。「史実を世界に発信する会」事務局長。「南京事件の真実を検証する会」監事。著作に『文科省が英語を壊す』(中央公論新社)などがある。

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《添付》            温家宝国務総理閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国務総理温家宝閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものですが、貴国のこの事件に対する見解につき、重大な疑義を抱いております。以下その中心的な疑義につきまして閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、 故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
二、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
三、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、ありえないと思いますが、閣下はいかがお考えでしょうか?
四、 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。こういう記録と30万虐殺という貴国の主張しているところとは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
五、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
六、 このように、南京大虐殺ということは、どう考えても常識では考えられないことであります。それでもあったとお考えでしたら、われわれが提供する資料も踏まえて、公正客観的にその検証を進めていただきたいと考えます。ところが現状では貴国は南京に大虐殺記念館を建て、大々的に30万虐殺を宣伝しています。このようなことは、史実をないがしろにする不当極まりないことであるばかりか、貴国の唱えられる日中の友好の方針とも真っ向から対立するのではないかと考えます。更に本年は南京事件から70年ということで、貴国のさまざまな機関が「南京虐殺映画」製作を企画し進めていると伝えられます。こうしたことは日中友好を願うわれわれ日本人にとって耐え難い裏切り行為とうけとめております。閣下はこれにつきどのようにお考えでしょうか?

以上の諸点につきまして、閣下のご回答を是非承りたく存じます。このことは多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成19年4月10日

南京事件の真実を検証する会委員一同

会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之
東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘

『WiLL』 2007年6月号 より

 

 

 

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