女性・子供の死体数は城外で95体、城内に到っては僅か34体に過ぎません。これでは日本軍が南京城内で大虐殺を行ったといえるレベルではありません。埋葬数の殆んどは男性であることから、南京攻略戦での国民党軍兵士とみなせます。
次に埋葬数の城内での推移を図5、城外での推移を図-6に示します。
現地で埋葬作業に関係し賃金支払業務等を担当された丸山進氏(故人)は、埋葬の作業能力は多く見積もっても約200体/日であった。二月中に約5千体を処理、3月に入ると20日予定の中国軍民国犠牲者の慰霊祭に間に合わすべく、紅卍字会は下請けを動員して、31,791体の埋葬を完了したことになっています。この数値について丸山氏は明らかに水増しがあるといわれています。丸山氏の最終計算では20,962体となっています。
2月9日の4,560体などの埋葬数はありえないし、ましてや12月28日の天候は降雪となっていますから6,468体も作り上げたものです。
虐殺は南京陥落後4〜6週間続いたといわれていますが、埋葬作業をしている最中に日本兵がワザワザ虐殺し、埋葬作業の手間を増やすことなど考えられないことです。
ところで、ベイツ教授は昭和13年2月14日に書いた報告書「南京における状況」の中で次のようにいっています。、
<一日に二百体埋葬、まだ埋葬は3万体残っている。殆んどが下関に。>
また、ベイツのティンパーリ宛手紙(3月14日付)には次のように書かれています。
<紅卍字会の埋葬記録は殆んど出来ている。これによると市内及び城門近くで銃撃または銃剣により処刑された非武装住民は四万人に上がると見られます>
これら埋葬数に関連してベイツ教授等の約4万人という数値がでてきたものと考えられます。

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