Q4. 虐殺4万人は、中華民国ではその後どのように扱われましたか。
A. 中華民国は4万人虐殺説を公式記録から削除し、一度も追認しませんでした。
亜細亜大東中野修道教授の研究成果を紹介します。『産経新聞』1998年7月28日からの引用です。
中華民国の公式見解から「4万人殺害」が削除
南京事件で「4万人が殺された」とする南京在住の米国人宣教師、ベイツ博士のメモが当時の中華民国の英文の公式文書「チャイニーズ・イヤーブック」(1938-39)に収録された際、「4万人殺害」のくだりが
削除されていたことが東中野修道・亜細亜大教授の研究でわかった。
この「4万人」が消されたことが後に、「20万」「30万」といった誇大な犠牲者数が一人歩きする一因になったと見られる。
チャイニーズ・イヤーブックは、徐淑希・燕京大教授が委員長を務めていた中華民国の国際問題委員会公式資料から作成、いわば中華民国の公式見解。徐氏は、満州事変の国際調査団中国代表専門委員も務めた。
ベイツ博士のメモは「日本軍が不法に処刑した」という中国人の話をもとに1938年1月25日に書かれたもので「非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁近くで殺された。うち3割は兵士でなかった」という内容。
しかし東中野教授がしらべたところ、チャイニーズ・イヤーブックはベイツ・メモを収録する際、その核心部分である「4万人殺害説」を削除したほか、「3千体が大量処刑の後積み重ねられたり並べられたりしたまま放置されていると埋葬グループは報告している」という記述も削除していた。
東中野教授は、「ベイツ博士の4万人虐殺説も水増しの疑いが強いが、その4万人虐殺説でさえ公式記録から削除され、一度も追認されなかった。
「南京虐殺」は4等、5等史料によって成り立っていることがはっきりした」としている。
Q5.南京の人口に変化はあったのですか。
南京陥落前後の南京の人口に関し、南京市要人や国際安全委員会の発言を一覧にしたのが図-7です。

宣教師ミルズは1月3日の日記(B)には20万人と書き、3月25日の家族への手紙(E)では25万人と報告しています。虐殺があったといわれているのに逆に増加しているのです。この増加の背景には、日本軍が南京市民に元住所への復帰を促すため「安居証」の発行を12月24日から開始したことがあります。丸山氏の記録された「安居証」の発行状況を図-8に示します。

3月末には235,056人ですから、この約25万という数字は国際委員会も把握していたものと思われます。
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