Q6.「安居証」の発行は国際委員会に影響が与えたのでしょうか。
A. 大きな影響を与えました。これまで「南京安全地帯」は危険であると、盛んに日本大使館に「市民重大被害報告」を提出していました。これが一転し、今度は南京城外が危険であるとの報告に転換します。これは図-9を見ると歴然とします。
図-9には二つの山があります。右の2月頃の大きな山は城外で事件が多発したことを現しています。
これは、日本軍の行政権が効力を発揮し始め、欧米人の発言力が低下し始めたため、住民の帰宅運動を阻止するための工作と見られます。城外にはこの頃日本軍はいませんから、事件が起こる必然性はないのです。これからも国際委員会の残した各種報告書が如何にいい加減なものであることが分かります。
Q7.東京裁判のために南京で行った調査はどのような状況だったのでしょうか。
A:東京裁判開始前の昭和20年(民国34年)11月7日、南京敵人罪行調査委員会が組織され、後日「南京南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」が出されます。調査は以下の様子であったと報告されています。
<此間、敵側ノ偽(欺)瞞妨害等激烈ニシテ民心消沈シ、進ンデ自発 的二殺人ノ罪行ヲ申告スル者甚ダ少キノミナラズ、委員ヲ派遣シテ 訪問セシムル際二於テモ、冬ノ蝉ノ如クロヲ噤ミテ語ラザル者、或ハ事実ヲ否認スル者、或ハ又自己ノ体面ヲ憚力リテ告知セ<ザ>ル者、他処ニ転居シテ不在ノ者、生死不明ニシテ探索ノ方法ナキ者等アリ・・・
数次二亙り行ハレタル 集団屠殺ニ関スル貴重ナル資料ヲ獲得スル毎々一々之ヲ審査シ、確定セル彼殺者既ニ三十万ニ達シ、此外尚未ダ確証ヲ得ザル者合計二十万人ヲ下ヲザル景況ナリ。>
この杜撰な報告を根拠に、昭和23年11月11日の東京裁判判決で次のように朗読されました。
<最初の二〜三日間に一万二千の非戦闘員が殺され、武器を捨てて降伏した中国兵は七十二時間のうちに機銃掃射され、捕虜三万人以上が殺された・・・・
後日の見積もりによればの間に南京とその周辺で殺された一般人と捕虜の総数は二十万以上であった・・・。>
Q8.朝日新聞のいう南京虐殺事件はどのようなものですか。
日中国交回復の一年前の昭和46年朝日新聞は『中国の旅』を連載し、翌年単行本として発行しました。そこには次のように書かれています。
<(虐殺は)翌年二月上旬まで二ヶ月ほど続けられ、約30万人が殺された>(『中国の旅』259頁)。
さらに、南京虐殺の概念図(南京市提供)―南京城南部中華門などの付近−と南京城外長江ぞいの虐殺を掲載しています(図−10)。元図の「日本国主義在南京的屠殺示意図」に死者数を見やすく追記しています。死体数の合計は10数万です。
図−11は図−10を基に城外(南京城周辺の激戦地、長江沿いの日本軍進路地域)と城内(五台山)の死体数を図化したものです。明らかに城外の死体数が多いことから城外の雨花台、上新河、紫金山等の激戦でなくなった兵士の死体とみなすべきものです。虐殺とは全く関係ありません。
死体数は30万人に到底届きません。東京裁判でも登場し、今でも中国が言い続ける30万人は全く根拠はないのです。

|
|||
|
|