4 入城した日本兵の証言
それでは入城 した兵士達の感想を聞いてみよう。
前図で分かる通り街の中心に安全地帯があり、そこに人口が集中し7iがこれを担当した。他の部隊の担当は無人地帯であったのである。 
入城した日本軍兵士が見たものは、経験した事もない不思議な静寂の支配する死の街であった。本論文の眼目の一であるので、やや詳しく述べる。

○城の北部を担当した16師団は城外及び下関〈波戸場〉の敵兵掃討に十三日は過ぎ、入城したのは十四日であるが,中島16師団長は城内にはほとんど敵兵を見ずと日記に記し(*1)、
○佐々木30旅団長は住民は一人も顔を見せない。痩せ犬だけがいると私記に記している(*2)。
○33i通信班長平井氏,羽田一等兵も残敵に遭遇せず、死体も見ず静かなものだったと証言している(*3)。
○東門〈中山門〉から入城し東北部を担当した16師団第19旅団の主力は十三日夕方進入。実際の掃討は十四日であったが、敗残兵は殆ど見かけず住民も見なかったと参戦者は証言している(*4)。
○東南部を担当したのは9師団であるが、其の多くは飛行場や公園のある無人地帯や城外に留まり、市街地まで侵入したのは19聯隊第4中隊であるが,土屋中隊長は「市街に深く進入すればするほど,まさに死の街という感じを深くした。勇敢な部下も一瞬たじろぎ、いつのまにか私を中隊の先頭にたたせていた」と証言し、また戦史は19聯隊,36聯隊は十三日城内侵入後は戦闘行為はなく、捕虜も捕えなかったと記す(*5)。

南部を担当し中華門から入城した6師団の兵士も敵兵はもとより住民の姿も見なかったという(*6)。山崎第10軍(6D114Dなどの総称)の参謀は商店は「同人帰里,暫停営業」の張り紙をして閉ざされ,住民は一人もなしと日記に記している(*7)。

以上、各方面から城内に進入した将兵の体験を述べたが,それらを総括する意味で,わたしが直接聞くことのできた南京戦参加者犬飼総一郎氏の証言を記しておきたい。
氏は19旅団の通信班長であった。旅団は東門(中山門)制圧後、先遣隊として20i4中を城内深く進入せしめた。これは松井司令長官の方針〈厳正な選抜部隊だけを入城せしめよ〉に沿ったためである。第4中隊は十三時四十分に東門を出発したが、その後一向に連絡がない。案じた旅団長は氏に探索を命じた。通信兵は馬を持っているが,氏は自分の馬を乗り潰していたので、旅団長の副馬を借りた,京都競馬で優勝したことのあるサラブレッドである。氏はこの駿馬にのって東門から市の中心中央ロータリーまで直線コース8キロをギャロップ〈全速力〉した。敵兵の狙撃に備えたのである。しかるに行けども人影は見えず、猫の子一匹通らない。氏は安心して速度を普通の駆け足にしロータリーに着いた。見回せば周囲は平穏で銃声もない。氏は友軍は安全と判断し帰路につき報告した(*8)。氏は当時弱冠20歳であった。

この話は我々に、イ.日本軍は司令長官の命令を尊重し秩序正しく入城したのであって、全軍が無秩序に乱入したのではないこと、ロ、その兵が何事もなく行って帰れるほど市内は静穏であったこと,を教えてくれる。
これらの日本軍将兵の体験は東京裁判の判決や大虐殺派の所説、例えば中国が編纂した「証言。南京大虐殺」本文初頭に主張する「日本軍は入城するや、人と見れば殺し,女と見れば犯し」とは全く異なるものである(*9)。

*1:戦史資1、p219. *2:戦史資1、p274. *3:戦史、p160
*4:戦史、p166、167、戦史資1、p415、*5:戦史、p179、*6:戦史、p222
*7:戦史資1、p292、 *8:犬飼氏自筆の手記が筆者の手元にある。
*9:『証言・南京大虐殺』p14,15

第二章 原初的南京事件
我々は」南京事件」の舞台が南京ではなく、南京安全地帯であることを明らかにしてきた。
それではこの舞台の上で何が演じられたのであろうか。それは@敗残兵の掃討とA市民に対する不法行為であった。まず敗残兵の掃討について述べよう。

1.敗残兵の掃討
日本軍が入城する前に、南京を防衛する中国兵は南京から退却し、いろいろな方向へ逃げていったことを述べた。それを図示すると図2のようになる。

逃走方向は
@南京城の西側と揚子江の間を南下 A 南京城の東北と揚子江の間を東へ。
B南京城の東を逃走。C城内の安全地帯に紛れ込む。
南京に入城した日本軍はこのように四面皆敵であった。これらを軍事的に処置しなければ日本軍は安心できなかった。
・@の敵はその方面を担当した第六師団と遭遇し、師団は激戦の末これを始末した。
・AとBの敵は第十六師団が担当した。 
・安全地帯担当の部隊はCの敗残兵を軍事的に掃討したのである。この間の事情が『南京安全地帯の記録』によく現れている。 
まず国際委員会は安全地帯に紛れ込んだ敗残兵を、つぎのように処置し日本軍に温情ある処置を頼んだ。

そこで私どもはこれらの兵士全員を武装解除し、安全地帯内の建物に収容しました。これらの人々が、現在望んでいる平穏な市民生活に戻れるよう、貴軍の慈悲深い許可をお願いする次第です(*1)。
*1:安全記録、p2

 次いで日本軍に文書で彼らを適法な戦時捕虜として扱うよう依頼した。
第4号文書、福田氏への手紙 十二月十五日にそのことが書かれている。

南京安全地帯国際委員会は武器を投げ捨てた兵士達の問題で大変困っております。・・・・・国際委員会は武装解除された兵士達を一般市民から分離しておくことができませんでした、とりわけ兵士達の中には軍服を脱ぎ捨てた者がいたからです。
国際委員会は兵士と確認された者達を法的資格を満した戦争捕虜であると完全に認めるものです。しかしそれらの武装解除された兵士達の取り扱いにおいて、国際委員会は日本軍が市民を巻き添えにすることなきよう最善の注意を払われるよう希望いたします。更に国際委員会は日本軍が捕虜に関して認めらている戦争法規に従いまた人道上の理由から寛大な処置をこれらの元兵士に取られるよう希望いたします(*2)。
*2:安全記録、p4〜5

これに対する日本軍の回答はきわめて率直にして明快であった。(これは前掲の『安全記録』p2の要望に対する回答でもあった。)

1.中国人兵士を捕まえるため市内捜索がなされるべきである。
4武装解除された中国人兵士を取り扱うにあたっての日本軍の人道的態度を信頼されよ(*3)
*3:安全記録、p6

すなわち、見も知らぬ、接触もない敵兵は敗残兵として、南京市内の他の敗残兵と同様な扱いをすると返答したのである。
以後国際委員会は安全地帯に潜入した敗残兵に対して格別に言及することはなかった。
このようにして日本軍は安全地帯の中の敗残兵を掃討したのである。この掃討は、十二月十四,十五、十六の三日間将校指揮のもとに整然と行われ、約六千五百人を検挙し、処刑したと言われる(*4)。
*4、戦史資1、p334、第七連隊長日記

2、  南京入城後の日本兵の動き
これから、日本兵の市民に対する不法行為について述べるのであるが、その前に、南京入城後の日本兵の動きを纏めておきたい。

松井大将は作戦の任務を完遂して役目を果たした軍隊が南京に駐留することを許さず、次の作戦に転出することを求めたので、任務を果たした部隊はどんどん南京を去り新しい任務に向かった。

@中華門を制圧しまた城壁の西側を南下してきた中国敗残兵を処置した第六師団は十六日頃より二十日過ぎにかけて蕪湖 方面に転進した。
A114師団は中華門の制圧を第六師団とともに行ったが、その後特別な南京警備の任務がなく、入城後すぐ杭州へ転進していった。
B東南部の光華門などから入城し、一部 は安全地帯を警備した第九師団も十二月二十四日頃東方の蘇州方面に転進していった。
C城の東北方面及び東方の 敗残兵を処置した第十六師団のうち、第十九旅団の主力は南京には帰らず、そのまま東方へ転進していった。
Dかくして 第十六師団の第三十旅団だけが南京に残り、南京を警備することとなった。その内第三十三聯隊は第三大隊を南京から離れた南方の江寧鎮の守備に向けたので南京を去り、、第一第二大隊約二千名が南京の南部を警備し、第三十八聯隊は主力約2千人が南京の北部を警備することとなり、その内の1部(千人位か)、が従来の第七聯隊に代わって安全地帯の警備に当たることとなった。

? すなわち、総勢十万近くの軍隊が南京攻略に当たったのであるが、十二月二十四日以降はわずか四千人が南京を守備することとなったのである。 そしてこの第三十旅団も一月二十日頃第十二、二十二聯隊(天谷支隊)と南京警備を交代した。

 E安全地帯の警備は当初第七聯隊の第一(790人),第二大隊(812人)の担当であったが(十二月十三日は夜視察だけ、十四日は敗残兵掃討、夕刻安全地帯の外の宿舎に帰る。十五日より安全地帯に宿営、警備,) 二十四日に第三十八聯隊の約千人と交代、一月二十日頃から天谷支隊が警備し、この天谷支隊は安全地帯解消を強力に推し進めた。

3、 安全地帯の中で日本兵が市民に対して行ったとされる不法行為
筆者はこの事を述べるに当たって、『南京安全地帯の記録』に番号を付して掲載された事例をもとにして論述を進めたいと思う。南京事件の事例はこのほかに『南京の真実』1997年講談社刊、(ラーベの日記と通称する)、『南京事件の日々』1999年大月書店刊、(ヴォートリンの日記と通称する)、ティンパーリー編『戦争とは何か』1938年ゴランツ社刊、『南京事件資料集1 アメリカ関係資料編』の中の南京残留外国人の記述したもの(いわば日本版、EYEWITNESSES TO MASSACRE)などが利用できるが、重複をかまわず集計すると、これらの文献に現れた南京事件の事例は1038個であり、その内、『南京安全地帯の記録』に現れるものは517件で、ほぼ半数を占めるし、他の文献に現れるものは多くこれと重複し、大同小異であり、且つ『戦争とは何か』は記述の根拠として「南京安全地帯の記録」の事件から二百あまりの事例を借用しており、その引用に当たって次のように言っているのである。

次の日本当局に提出されたものから選ばれた事件は一月十四日から二月九日までの間のもので、日本軍の南京占領の最初の二箇月の物語りを完全にするものである(*1)。
*1:『ティンパーリ』7p198
すなわち『南京安全地帯の記録』の事例で日本軍の南京占領の物語が完結しているといっているのである。
『南京安全地帯の記録』は第一篇と第二篇に分かれていて、通し番号で444番まであるが、同じ番号の中に数個の事件を含んでいるものもあるので、事件番号よりも事件の数が多く、517件となる。

@事件の種類別件数


殺人

強姦

拉致

傷害

略奪

放火

侵入 

その他

件数計

26

175

43

39

131

5

24

74

517

後年の南京事件の叙述と異なり、殺人 は少なく強姦、略奪が多い。

A所謂「南京事件」は実は南京安全地帯の事件なのである。表2−1、2−2がこれを証明している。 ?
表2-1(十二月十三日〜一月二十二日)、この期間では事件の発生は安全地帯に集中している。これが当時の南京事件の本質を示す数字である。


表2-1(十二月十三日〜一月二十二日)


安全地帯

安全地帯外

件数計

239

23

262

しかし、一月二十三日〜二月七日は、この様相は一変してつぎの様になる。


表2-2(一月二十三日〜二月七日)


安全地帯

安全地帯外

件数計

61

194

255

すなわち、安全地帯以外の所での事件のほうが多くなるのである。これは次のような事情によるのである。

第二章の2、のDとEで述べた如く、1月下旬から南京を警備することとなった天谷支隊は強力に安全地帯解消作戦を進めようとした。国際委員会はこれに猛反発し、これを阻止するために、日本軍が薦める住民の安全地帯外の元の住居は、地獄のような所であり、日本兵が帰還住民を待ち構えて強姦、略奪を行うとしてその事例を集めることに狂奔し、住民に示して、その元の住居への帰還を阻止しようとしたからである。この為、安全地帯以外の所での事例が急増したのであるが、日本兵は軍の安全地帯解消作戦を阻害するこのような行動を取るはずがなく、これらの事例は国際委員会が住民から強要したもので実体の伴わないものであった。『戦争とは何か』には多くの『南京安全地帯の記録』の事例が論述の証拠として引用されているがこの期間の事例については、真実性に欠けるところがあるとして大幅に引用を差し控えているのである。(表に示した如くこの期間の事例総数は255件であるが、この期間の事件として『戦争とは何か』附録Cに登録されたものは僅かに21件であった)。

住民もこの頃にはすでに安全地帯ひいては南京の行政上の実力は日本軍に移っていることに気がついており、次第に国際委員会に協力しなくなり,ついに日本兵非行の事例の提供もしなくなって,ここに南京事件は終局することとなるのである。

さらに517件の事例は以下に示すとおり殆どが杜撰なものであった。

B表3 事件の発生時


日付不確定

小計

日中

件数計

17

107

124

393

517

期間を通じて兵士達は夜間の外出は厳禁されていた。従ってすべての夜の事件、また日時の確定していない事件は日本兵の行ったものとは言い難い。

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