
進学塾では、限られた時間内で、効果的に教えることが必要となります。学校で一週間かけて教えることが、一コマ、つまり45分かそこらで教えられることも、珍しくありません。塾に入り立ての生徒は、その中で説明を聞き、ノートをとり、問題を解いてマスターするという技を身につけなければならないことに、たいそうな驚きを感じるはずです。
親のほうも、それなりの授業料を払っているので、たとえば4コマ習わせたら、45分×4で180分勉強を教えてもらっている、と考えるはずで、だとしたら学校では4週間分の内容だ、などと計算しているかもしれません。だから、中学生を、学校のテスト対策だとして、自習させておくと、授業料を払っているのにただ自習なのか、とクレームをつけてくることになるのかもしれません。
しかし、通常の授業でさえ、案外その時間の中で、勉強とは関係のないことを話していることは、多々あります。
出欠確認は当然ですが、配付物のためにも結構な時間をとるときがあります。それも、へたをすると塾側の利益につながるお知らせのプリントであったりするし、そのためのアピールをすることもあります。
ただ、それはさして長い時間ではありません。
長い時間に及ぶことがあるのは、案外、気合いを入れるための話です。
案外、この時間が大切だという考え方もあります。
家でただ問題集を開いているだけでは、絶対に聞くことができない、勉強の勧めです。殆ど教練的に、勉強しろという話をかなりのパワーで聞かされると、「そうなんだ」という気に、生徒がなっていくのも事実です。また、大勢でそれを聞くことによって、集団的にその気にさせられていく、というのも本当だろうと思います。
つまりは、やる気になることが肝要、ということです。
けれども、やはり塾としては、教科内容を教えてなんぼ、というのが正統的な考えであることは間違いありません。
先日、国語の授業の後の黒板に、「国語の成績を上げるためには」と板書されていました。ところが、その後には、実際の具体的な方法としては実にお粗末なことしか書いてなく、これは殆どたんなる精神論に過ぎない、というふうに見えました。
実際、教師が多忙で、教材を十分調べたり予習したりしていないという現実が、ここにあります。国語なら、その文章のどこをどう見つければよいのか、あるいは評論なら評論を、どういう観点から読む作戦をとればいいのか、評論が読めるようになるためには、どういう言葉を知っていなければならないのか、そんな具体的なことをこそ板書し、ノートさせるべきだと私は考えるのですが、せいぜい、問題の答えが列挙されているとか、精神論みたいなことがただ書いてあるとかいう姿を見ると、塾とはこういうものなのだろうか、と思い悩むことがあるのです。

親として、子どもを大きな塾に行かせるのは、もしかすると、このような授業に多大な期待をもっているのではない、と感じることもあります。
そんな解き方もあるのか、といった知的好奇心を満足させることなど関係なく、とにかく子どもが勉強をするようになればいいとか、点数が取れればそれでいいとかいうことにしか、塾を評価する判断材料がないわけです。その他は、スタッフが家庭に連絡をしてくれるか、あるいは家庭側の要求を容易に呑んでくれるかどうか、みたいなことも、ポイントは高いことでしょう。
そして、大きな塾のメリットというと、なんといっても、そのデータ数です。データが大きいから、受けたテストの結果も信用がおける、という点です。10人しか受験生がいない塾内でテストを受けたのと、3000人の受験生を配下にもつ塾内のテストを受けるのとでは、どれほど信頼性があるか、考える必要もないくらい明らかなことでしょう。
それでも、ただテストを頻繁にして、点を取れ、なんとしても取れ、と覚えさせるだけの流ればかりで授業をしているとすれば、進学塾の質も下がる一方です。
点を取るテクニックだけでないように私は考えます。たとえば公式をどんどん教えて使えればそれでいいとするのではない、と思うのです。その公式の成り立つ訳を、どこかで少しでも語ることなしには、数学の考え方を得たことにはならないのではないか、と思うのです。
いや、数学とて、暗記科目だ、という声もあります。私は否定するつもりはありません。数学の楽しさを伝えるのが目的ではなく、点を取らせるのが目的だからです。でも、それでも、その目的のほかは全部犠牲にするべきかというと、私は首を縦に振りたくはないのです。点を取らせるのは、目的でなく、結果であると理解しているからです。

さて、以上、すべての塾がそうだというわけではありませんが、ひとつのモデルとして描いてみました。合格者数で経営が決まる塾業界なので、なんとしても点数を取らせるのが第一というのは、私もそのうちの一人として認めますが、塾を、ブロイラー生産工場のようにしないためにも、せめて教師陣が、もう少し教科内容の研究や指導法の研究のために、時間を割くことができるように、業務を改善していくことを、提案したいものだと切に思います。
私がかつていた塾は、そうした競争には負けてしまいましたが、余裕のあるスタッフ配置で、教材研究はできていました。それとも、そんなだから、競争に負けることになるのでしょうか。難しい問題です。これは、容易には解けそうにありません。

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