衰えゆく思考力の危険性

2004年9月

 中学受験を志す小学生は、親の意識も高いことが多く、本人のやる気や能力も、驚くべきものがあります。素直に言われたままをやりますから、多少の負荷がかかっても、やり通す気力を持ち合わせている場合が目立ちます。

 高校受験を控えている中学生の場合は、そうした小学生たちに比べると、意識が低いことは否めません。ですから、小学生の低いクラスと同じくらいに考えて授業をするのが、中学生の上位クラスでのやり方となっています。

 それにしても、中学二年生の力のないこと、ないこと。

パンダ

 学力低下がはたして、時に報じられるように、危機感となっているのでしょうか。まあ何とかなるさ式に、学力低下が等閑に付されているのが気になります。

 学力低下とは、以前の生徒と同じ条件で解く競争をした場合に、正解率が下がる、などという生ぬるいものではありません。授業についていこうとする気力とか、論理的に思考しようという意欲とかが、欠落しているとしか言いようのない場面を目撃することがあるのです。

 十年前の中学生だと、学力的に下位とされていた子も、一筋の論理的思考に、ついてきました。ついていこうという気持ちが、ひしひしと伝わっていました。ですが、今はそうではありません。途中でプツンと切れてしまう子、甚だしいのは、最初から理屈っぽい話には完全に背を向けている子が、目立ちます。それも、成績上位とされるクラスに。

 教える側からの印象では、思考力が滅びかけている、という表現が、的確です。

パンダ

 こう言うと、また「昔はよかった」式の懐かしい贔屓目によるものだろう、と思われがちですが、現実に学力テストなどでも歴然とした差があることは、各種のデータが物語っている通りです。

 塾の板書は、学校よりは速くなります。初めて塾へ来た子は、もちろん最初驚くでしょう。しかし、こちらも長年の経験を基にスピードを考えています。塾は違うのだ、という意識で、話を聞きながら書く、あるいは話の合間にノートするという技術を覚えようとさえすれば、2週間も経たないうちに、ノートする技術を覚えていくものです。

 それが、一ヶ月経っても二ヶ月経っても、「速くてノートがとれない」とぼやきます。そして、「数学が分からん」というフレーズを口にします。「国語が分からん」という言葉は不適切なことは、本人がよく知っていますが、数学なら、分からないという表現が使いやすいことも分かっています。

 かくして、ほんの僅かな思考力と論理力、考える粘りというものを養成する数学は、つねに悪者にされていくのです。

パンダ

 分からないものを、分かろうとする意欲。

 余計な条件が少なく、論理だけで解決がつく数学を、難しいと思い込む精神的閉鎖感。

 これらが、個人差という問題でなく、集団においても明らかな傾向として定着してしまってきた現在です。

 もしこれが、文部科学省の意図する「ゆとり」の成果であるとすれば、どうでしょう。多分にそうだと思いますが、これは、右傾化した指導者たちに、実に都合のよいものではないでしょうか。

 面倒くさいことを自分で考えることは嫌だ。誰かが決めてくれればそれに従っていることが楽である。

 国が定めた方針に、一筋に従っていく国民。自分たちで思惟することも判断することもなく、「エリート」たちが決めたことに逆らいもしない。耳に聞こえのいい宣伝文句で釣っておいて、賛成多数によって動く制度の中で、多数という事実だけが欲しい為政者側との利害は、完全に一致します。

 為政者たちにしてみれば、一人一人がよく考えて行動し、判断する世の中ほど、嫌なものはありません。国の言うことを素直にハイハイと聞き、従う兵隊をたくさん拵えるほうが、どれほど有効でしょう。戦後民主主義が一人一人よく考えようという教育を志したとすれば、それは、国家主義者たちにしてみれば、実に都合の悪いものです。ゆとり教育という名前で、大多数の子どもたちから、自ら思惟する能力を奪っていく。そうして、一部の「エリート」だけを優遇し、国のために個を捨てる思想を植え付けていけば、民衆を操り動かすことは、容易なこととなります。

 一部の「エリート」さえいれば、考える大衆は不要なのです。このことは、ゆとり教育の推進者グループの中からも、自覚的に発言された内容だと私は聞き覚えています。

パンダ

 そんなことはない、と文部科学省は言うかもしれません。しかし、大臣は「神の国」は当然だと発言するし、「心のノート」という実にうまい手段で、全小中学生を洗脳していこうという名案を得て、どうして上のことが否定できるでしょうか。「心のノート」は、教科書の採択に関係せず、確実にすべての子どもたちに配布し、国のために命を捨てるみたいな方向へ、洗脳するかの如き教育をすることができるのです。

 これに比べれば、教科書採択問題などは、小さい、小さい。一部の報道機関にしつこく迫られる、教科書問題をすり抜けて、子どもたちを国の兵士に育てていくことが可能なのです。

 ますます滅び行く思考力の中で、一人一人が目を開いて、何かに気づくこと、そしてそのために、考えるということは価値あることだと自覚すること、そのために、数学を教える意味は、小さいことは絶対にない、と信じています。


Takapan
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