管理された計画表を超えて

2004年6月

 最近、どこの中学生も、同じようなものを持っています。

 日々の生活の記録表、あるいは、学習計画を記す日程表のようなものです。

 たとえば定期試験があるとして、その2週間前くらいから、その日にはどの科目の何をするか、何時から何時までするか、といったことを記録してゆくのです。

 日々の記録表に至っては、立派なワークブックのようなものが提供され、日々の生活を全部書き入れるようにしてあります。

「これって、プライバシーの侵害じゃん」

 察しのいい中学生は、そんなことを口にします。その通りです。

「でも、何も正直に全部書くとは限らないもんね」

 塾に来た子は、まだ達していない時刻のことまですでに書き込んで、涼しい顔をしていました。

 はたして、正直な子は、事細かく何もかも書き記しているのでしょうか。

パンダ

 私たちが中学生のころ、そのような教材はありませんでした。

 その代わり、自分でそのような計画表を立てて、定期試験に臨んでいました。

 テストがこの日にあるから、前日は翌日の科目を、2日前には数学と社会を、その前には英語と理科を……などと、タイプの違う科目を考えて組み合わせるなどして、自分で計画を立てていたものです。

 何も、学校から決められた形式のプリントやワーク調の計画ブックをもらったりはしませんでした。もしもそのようなものをもらったとしたら、私は喜ばなかったと思います。自分で自分の気に入ったように作りたいのに、どうしてこんな既製品の、お仕着せのものに合わせて計画を立てなければならないのか、と。

 それはたとえば、「自由日記」などと題しておきながら、月日や天気、書く文章の量などが決められた日記帳をあてがわれるようなものに感じられたことでしょう。

パンダ

 今の中学生は、これで当たり前だと思っているのでしょうか。

 案外、これなら楽だ、いいものをもらったぞ、と思っているのかもしれません。

 それは、たとえば自分で竹と木を切ってきて竹馬を作っていた昔の子と、プラスチック製の竹馬をぽんと買ってもらって喜ぶ今の子との違いのようなものにも似ています。

 良いとか悪いとかで分けられる事柄とは言えないのでしょう。

 ただ、「目標へ向かって計画を立てる」「期日の指定があるとき逆算して今するべきことを決める」というのは、いわゆる「段取り」とも言われる、大切な思索工程だと言えます。数学の才能は、これができるかどうかにも関係する、と言われています。数学とは、まさにその「段取り」を調えて準備して完成してゆく手続きを身に着ける学習だからです。

 果たして、その思索工程が、他人から決められた形式によって与えられるということで、よいのかどうか。この点には、議論が起こってしかるべきでしょう。

 自分の将来をどうするかという問題についても、他人が決めた形式に沿ってでなければ考えていけないような人間に育てることには、私は抵抗があります。

 もしかすると子どもたちは、そのような圧力に対する抵抗として、ケータイという閉鎖的な世界に逃れようともがいているのかもしれません。

パンダ

 中学校から指定するなら、それにも書かなければなりますまい。

 しかし、中学生の皆さん、何でもいいから、自分で真っ白な紙を用意して、真っ白な状態から、計画を立てるということを、やってみませんか。最初はうまくいかないだろうし、何をどう書いてよいのか分からないでしょう。でも、真っ白なところに自分の考えを入れていくということを覚えたら、一生大切にできる財産を得ることができると思いますよ。

 最初は何かの真似でも構いませんから。


Takapan
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