中学二年生の夏休み明けは、嵐の時期。怠学気味になる子が増えてくるのはこの頃ですし、夏休みが終わったら髪型や人相が変わっていた、ということもありえます。
そのうえ、一次関数という意味不明な段階の仕上げに入り、やがて数学は、「証明」という最大の壁に向かいます。
履修する数学の中でも、一種独特に見えるのがこの「証明」ですし、生徒は大抵、分からん、分からん、を繰り返します。
時期が時期なだけに、やる気をなくさせるには最高のお膳立てかもしれません。
いやはや、そんな悲観的な言い方はやめましょう。証明に積極的に取り組む方策を紹介するのが、このコーナーなのですから。

まず、白紙にさあ証明しろという威圧的な出題姿勢が、生徒のやる気を殺ぎます。
真っ白の原稿用紙にさあ書けと言われてちょっと引いてしまうのと似ています。手紙も今の時代、すでにその域に達しているでしょうか。けれども、○○の代筆などというソフトがあるように、次々と質問を出してきて、それに答えていくだけで、一つの手紙を作成してくれるというものになると、ずっと手軽に手紙ができるようになるものです。

そこで、証明を「三角形の合同証明」に焦点を当て、その形式を会得することに集中することにします。
ただし、「証明」とは如何なるものかということを紹介するためには、合同証明は複雑過ぎるので、まずカリキュラム上初めに出会う、対頂角が等しいことの証明を書いてみます。それから、三角形の話に進んでいくのです。
| 三角形の合同証明 ●三角形の紹介 ●三つの証拠 @ A B(工夫) ●三角形の合同条件 ●三角形の合同 ●結論 |
まず、上の内容を板書し、ノートに書かせます。この形式にあてはめて書いていけば証明は怖くないと励まします。
ただし、これに前後して、「記号の対応順を守ること」と「結論は最後に初登場」という原則を徹底して説明します。この二つは、せっかく形式を覚えても、犯しやすい間違いの代表格なのです。とくに対応順は、等号の左チームと右チームとがコートで分かれているので敵チームに乱入しないように、と中学生に分かりやすいたとえで最初によく説明しておきます。また、犯人を最初にばらしてしまうような間抜けなサスペンスにならないように、犯人は番組の最後に明かすのだ、と結論最後の原則を理解させます。

また、証明が「裁判」のようなものであるとして、結論が「判決」であるならば、その判決を下すために「証拠」集めをし、有罪にするためには合同条件という「法律」の適用が必要であることを理解させます。中学生は、「法律」がなければ有罪にはできない、という法学の基礎をも知りません。そこから丁寧に解説すべきなのです。

よく、最初から穴埋めからさせる先生がいます。必ずしもそれが悪いとは言いません。しかし、ともすれば、「穴埋めなんだからなんとかなるだろう」という楽観の下にそうさせていると、失敗します。
中学生は、まだ論理の何たるかを知りません。論理の流れや概念の適用などを、なんとか体感させていくよりほか、ないわけですから、私は、この形式に当てはめて、最初から全文書かせます。形式がしっかりしていますから、全文書くのは、さして負担にはならないのです。むしろ、全部書くことによって、論理的叙述に次第に慣れていくことになる効果のほうが大きいわけです。穴埋めだと、断片的に埋めればそれでよしという気分が育ち、論理の流れが体に伝わってきません。

しばらく徹底して、この三角形の合同証明に浸るようにさせます。
三つ目の証拠が、普通「仮定」の中に直接書かれてなく、また発見しにくいことがあるものですから、ここのバリエーションわじわじわ増やして、自信がついていくようにします。
「対頂角は等しいから」「平行線の錯角は等しいから」程度から身につくように仕向け、そのうち「∠ABC=180°−∠PQR, ∠ACD=180°−∠PQR, ゆえに∠ABC=∠ACD」のような説明の仕方も掴めるように展開していきます。

三角形の合同証明が体得できれば、ほかの形の証明への理解も不可能ではなくなります。証明するという論理的思考が、いくらかでも身についてくるからです。この訓練なしに、いきなりさあ論理的に書けなどと言われても、それは無理な話です。まずは、論理的記述とはどのようなものか、三段論法すら知らない子どもたちに、分かってもらわなければ、前進することができないというわけです。

古来、日本の伝統芸能でも、まず「形」から入るというのが習得の第一歩とされていたように思います。証明論理は、そのうちその形からじわじわ理解されていくようなるものでしょう。
繋辞のはたらきの二種も、中学生には新鮮です。定義的な「三つの辺が等しい三角形は、正三角形である」という文と、包含的に「長方形は平行四辺形である」という文との違いは、小学生には区別が難しく、ふつう中学生も、その困難を背負ったまま2年間を過ごしてきています。
大人では論理的に分かり切ったようなことも、子どもたちは、論理として理解していない――そういう前提で、論理の世界をていねいに示しながら歩いていくのが、「証明」で与えられた、冒険のチャンスなのです。

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