文章のうまい人が度々「数学は生活には役に立たない」という流言を広めます。
このフレーズを見たとき、そう世間では言われているが、そうではないのだよ、と書いてくるのかな、と期待することがありますが、まずその期待は裏切られます。旧態依然と、菊池寛を慕ってか、数学は自分の生活にとってばかりか、凡そ普通の社会生活において全く役に立たない、と断言して憚らないのです。
算数は、低学年の子はたいてい好きです。そして、それが十分役に立つと信じています。 いや、四則演算は確かに役立つ、と大人でも言います。でも、それがだんだん複雑化して解けなくなった思い出を軸にして、そもそも算数や数学は生活に役立たないものなのだ、という信仰をもつようになっていくようです。

無責任に、学習意欲を削ぐような言動をばらまくことを、謹んでほしい、と願います。
野球というスポーツは、一時にはたかだか100メートル程度しか走りません。ならば、野球選手は、何kmものランニングをする必要など、ないではありませんか。
試合のどこで、ウサギ跳び(いまどきそんなのをしているかどうか知りませんが)をする機会があるでしょう。両足を交差させてステップする動きが、野球のどこにあるでしょう。一試合に10回ほどしかスイングしない打者が、素振りを100回するのは、無意味でしょう。
腕立て伏せなど、試合のどこでもすることはないでしょう。
数学が生活に役立たない、と言うのは、これらのトレーニングが野球のために役立たない、と言っているようなものです。
私たちは、何かしらつねに、思考しています。一日中テレビをぼうっと見て、人の言うことをすべて信用し、すべて流行にばかり従って、腹が立てば無制限に怒りまくり、一発当ててやろうとギャンブルにのめりこむ、といった生活をして一生を送るのであれば、たしかに数学は必要ありません。でもそうでないなら、数学で「鍛えた」思考力や推理力は、しっかりと役立つのです。
なんといっても、事象を抽象した、いわば純粋な思考訓練ができる教科としては、数学の右に出るものはないのですから。

たしかにテストはいやなものでしょう。だから、数学のテストで何点であったから良いとか悪いとかは、問題にしないとよいと思います。
野球選手は、ランニングのタイムで活躍度が決まるわけではありません。腕立て伏せが一番できる人が一番よい成績をとると決まったわけではありません。ただ、各自が十分にトレーニングすることで、それを試合という活躍の場で花咲かせていく土台を得ることになるのでしょう。
数学に真面目に取り組んでいけば、きっとそれは、人の思考の血や肉となります。数学の問題がうまく解けても、解けなくても、努力をすること、真摯に考えていくことは、きっと役に立つものとなるのです。

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