アグニの神

芥川龍之介

 支那の上海(シヤンハイ)の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度(インド)人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加(アメリカ)人と何か頻(しきり)に話し合つてゐました。
「実は今度もお婆さんに、占(うらな)ひを頼みに来たのだがね、――」
 亜米利加人はさう言ひながら、新しい煙草(たばこ)へ火をつけました。
「占ひですか? 占ひは当分見ないことにしましたよ。」
 婆さんは嘲(あざけ)るやうに、じろりと相手の顔を見ました。
「この頃は折角見て上げても、御礼さへ碌(ろく)にしない人が、多くなつて来ましたからね。」
「そりや勿論御礼をするよ。」
 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗(ドル)の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。
「差当りこれだけ取つて置くさ。もしお婆さんの占ひが当れば、その時は別に御礼をするから、――」
 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想(あいそ)がよくなりました。
「こんなに沢山頂いては、反(かへ)つて御気の毒ですね。――さうして一体又あなたは、何を占つてくれろとおつしやるんです?」
「私が見て貰ひたいのは、――」


底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
ファイル作成:野口英司
1998年12月11日公開
1999年7月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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朗読  音訳ボランティア  籾山久雄  2003,2,10


アグニの神

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