眉山

太宰治


 これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未(いま)だ発せられない前のお話である。
 新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。
「若松屋も、眉山(びざん)がいなけりゃいいんだけど。」
「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」
 そう言いながらも僕たちは、三日に一度はその若松屋に行き、そこの二階の六畳で、ぶっ倒れるまで飲み、そうして遂(つい)に雑魚寝(ざこね)という事になる。僕たちはその家では、特別にわがままが利(き)いた。何もお金を持たずに行って、後払いという自由も出来た。その理由を簡単に言えば、三鷹(みたか)の僕の家のすぐ近くに、やはり若松屋というさかなやがあって、そこのおやじが昔から僕と飲み友達でもあり、また僕の家の者たちとも親しくしていて、そいつが、「行ってごらんなさい、私の姉が新宿に新しく店を出しました。以前は築地(つきじ)でやっていたのですがね。あなたの事は、まえから姉に言っていたのです。泊って来たってかまやしません。」
 僕はすぐに出かけ、酔っぱらって、そうして、泊った。姉というのはもう、初老のあっさりしたおかみさんだった。



底本:「太宰治全集9」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年5月30日第1刷発行
   1998(平成10)年6月15日第5刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年1月23日公開
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朗読 音訳ボランティア 籾山久雄 2003,2,15


眉山

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