鼻


禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と云えば、池(いけ)の尾(お)で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇(うわくちびる)の上から顋(あご)の下まで下がっている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰(ちようづ)めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
 五十歳を越えた内供は、沙弥(しやみ)の昔から、内道場供奉(ないどうじようぐぶ)の職に陞(のぼ)った今日(こんにち)まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論(もちろん)表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来(とうらい)の浄土(じようど)を渇仰(かつぎよう)すべき僧侶(そうりよ)の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧(おそ)れていた。

                                                                   芥川龍之介  鼻
                                                             読みの底本;青空文庫ファイルより

                                                           (青空文庫の作成記録)
                                                     底本;「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
                                                                              1986年9月24日第1刷発行
                                                                              1997年4月15日第14刷発行
                                                   底本の親本;「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
                                                                     入力;平山誠、野口英司
                                                                     校正;もりみつじゅんじ
                                                                 ファイル作成;もりみつじゅんじ
                                                                                      1997年11月4日公開
                                                                                      1999年7月26日修正

                                             朗読 ;籾山久雄(音の図書室 音訳ボランティア)2002,3,1

                                                                      ここから聞けます

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