
(前編)
わたしの叔父は江戸の末期に生まれたので、その時代に最も多く行なわれた化け物屋敷の不入(いらず)の間や、嫉(ねた)み深い女の生霊(いきりょう)や、執念深い男の死霊や、そうしたたぐいの陰惨な幽怪な伝説をたくさんに知っていた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪(ようかい)などを信ずべきものでない」という武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めていたらしい。その気風は明治以後になっても失(う)せなかった。わたし達が子供のときに何か取り留めのない化け物話などを始めると、叔父はいつでも苦(にが)い顔をして碌々(ろくろく)相手にもなってくれなかった。
その叔父がただ一度こんなことを云(い)った。
「しかし世の中には解(わか)らないことがある。あのおふみの一件なぞは……」
岡本綺堂 半七捕物帖 お文の魂
読みの底本;青空文庫ファイルより
(青空文庫の作成記録)
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
1997(平成9)年3月25日20刷発行
入力:A.Morimine
校正:原田頌子
ファイル作成:野口英司
2001年4月13日公開
朗読 ;籾山久雄(音の図書室 音訳ボランティア)2002,5,20
半七捕物帖 お文の魂(前)