半七捕物帖 第3話

勘平の死

岡本綺堂

 歴史小説の老大家T先生を赤坂のお宅に訪問して、江戸のむかしのお話をいろいろ伺ったので、わたしは又かの半七老人にも逢いたくなった。T先生のお宅を出たのは午後三時頃で、赤坂の大通りでは仕事師が家々のまえに門松(かどまつ)を立てていた。砂糖屋の店さきには七、八人の男や女が、狭そうに押し合っていた。年末大売出しの紙ビラや立看板や、紅い提灯やむらさきの旗や、濁(にご)った楽隊の音や、甲(かん)走った蓄音機のひびきや、それらの色彩と音楽とが一つに溶け合って、師走(しわす)の都の巷(ちまた)にあわただしい気分を作っていた。
「もう数(かぞ)え日(び)だ」
 こう思うと、わたしのような閑人(ひまじん)が方々のお邪魔をして歩いているのは、あまり心ない仕業(しわざ)であることを考えなければならなかった。私も、もうまっすぐに自分の家(うち)へ帰ろうと思い直した。そうして、電車の停留場の方へぶらぶら歩いてゆくと、往来なかでちょうど半七老人に出逢った。
「どうなすった。この頃しばらく見えませんでしたね」
 老人はいつも元気よく笑っていた。
「実はこれから伺おうかと思ったんですが、歳の暮にお邪魔をしても悪いと思って……」
「なあに、わたくしはどうせ隠居の身分です。盆も暮も正月もあるもんですか。あなたの方さえ御用がなけりゃあ、ちょっと寄っていらっしゃい」
 渡りに舟というのは全くこの事であった。わたしは遠慮なしにそのあとについて行くと、老人は先に立って格子をあけた。


底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
   1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
ファイル作成:野口英司
1999年5月10日公開
2001年5月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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朗読 音訳ボランティア 籾山久雄

勘平の死

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