枯野抄

       丈艸(ぢやうさう)、去来(きよらい)を召し、昨夜目のあはざるまま、ふと案じ入りて、呑舟(どんしう)に書かせたり、おのおの咏じたまへ

                                旅に病むで夢は枯野をかけめぐる
                                                      ――花屋日記――

 元禄七年十月十二日の午後である。一しきり赤々と朝焼けた空は、又昨日のやうに時雨(しぐ)れるかと、大阪商人(あきんど)の寝起の眼を、遠い瓦屋根の向うに誘つたが、幸(さいはひ)葉をふるつた柳の梢(こずゑ)を、煙らせる程の雨もなく、やがて曇りながらもうす明い、もの静な冬の昼になつた。立ちならんだ町家(まちや)の間を、流れるともなく流れる川の水さへ、今日はぼんやりと光沢(つや)を消して、その水に浮く葱(ねぶか)の屑も、気のせゐか青い色が冷たくない。まして岸を行く往来(ゆきき)の人々は、丸頭巾をかぶつたのも、革足袋をはいたのも、皆凩(こがらし)の吹く世の中を忘れたやうに、うつそりとして歩いて行く。暖簾(のれん)の色、車の行きかひ、人形芝居の遠い三味線の音(ね)――すべてがうす明い、もの静な冬の昼を、橋の擬宝珠(ぎばうしゆ)に置く町の埃(ほこり)も、動かさない位、ひつそりと守つてゐる……

                                 底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
                                         1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
                                                          入力:j.utiyama
                                                          校正:かとうかおり
                                                     ファイル作成:野口英司
                                                         1998年6月1日公開
                                                        1999年7月29日修正
                                                    青空文庫作成ファイル:

                                   朗読 籾山久雄 2002,8,25
   
                                      枯野抄
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