競 馬

織田作之助  競馬

朝からどんより曇(くも)っていたが、雨にはならず、低い雲が陰気(いんき)に垂れた競馬場を黒い秋風が黒く走っていた。午後になると急に暗さが増して行った。しぜん人も馬も重苦しい気持に沈(しず)んでしまいそうだったが、しかしふと通(とお)り魔(ま)が過ぎ去った跡(あと)のような虚(むな)しい慌(あわただ)しさにせき立てられるのは、こんな日は競走(レース)が荒(あ)れて大穴が出るからだろうか。晩秋の黄昏(たそがれ)がはや忍(しの)び寄ったような翳(かげ)の中を焦躁(しょうそう)の色を帯びた殺気がふと行き交っていた。
 第四角(コーナー)まで後方の馬ごみに包まれて、黒地に白い銭形紋(ぜにがたもん)散(ち)らしの騎手(きしゅ)の服も見えず、その馬に投票していた少数の者もほとんど諦(あきら)めかけていたような馬が、最後の直線コースにかかると急に馬ごみの中から抜(ぬ)け出してぐいぐい伸(の)びて行く。鞭(むち)は持たず、伏(ふ)せをしたように頭を低めて、馬の背中にぴたりと体をつけたまま、手綱(たづな)をしゃくっている騎手の服の不気味な黒と馬の胴(どう)につけた数字の1がぱっと観衆の眼(め)にはいり、1か7か9か6かと眼を凝(こ)らした途端(とたん)、はやゴール直前で白い息を吐(は)いている先頭の馬に並(なら)び、はげしく競り合ったあげく、わずかに鼻だけ抜いて単勝二百円の大穴だ。そして次の障碍(しょうがい)競走(レース)では、人気馬が三頭も同じ障碍で重なるように落馬し、騎手がその場で絶命するという騒(さわ)ぎの隙(すき)をねらって、腐(くさ)り厩舎(きゅうしゃ)の腐り馬と嗤(わら)われていた馬が見習騎手の鞭にペタペタ尻(しり)をしばかれながらゴールインして単複二百円の配当、馬主も騎手も諦めて単式はほかの馬に投票していたという話が伝えられるくらいの番狂(ばんくる)わせである。

底本:「ちくま日本文学全集 織田作之助」筑摩書房
   1993(平成5)年5月20日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学大系70 武田麟太郎・織田作之助・島木健作・檀一雄集」筑摩書房
   1970(昭和45)年6月25日発行
入力:富田倫生
校正:江戸尚美
ファイル作成:野口英司
1998年3月27日公開
1999年8月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


競 馬

Ads by TOK2