ある日の大石内蔵助

 立てきった障子(しようじ)にはうららかな日の光がさして、嵯峨(さが)たる老木の梅の影が、何間(なんげん)かの明(あかる)みを、右の端から左の端まで画の如く鮮(あざやか)に領している。元浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)家来、当時細川家(ほそかわけ)に御預り中の大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしかつ)は、その障子を後(うしろ)にして、端然と膝を重ねたまま、さっきから書見に余念がない。書物は恐らく、細川家の家臣の一人が借してくれた三国誌の中の一冊であろう。
 九人一つ座敷にいる中(うち)で、片岡源五右衛門(かたおかげんごえもん)は、今し方厠(かわや)へ立った。早水藤左衛門(はやみとうざえもん)は、下(しも)の間(ま)へ話しに行って、未(いまだ)にここへ帰らない。あとには、吉田忠左衛門(よしだちゆうざえもん)、原惣右衛門(はらそうえもん)、間瀬久太夫(ませきゆうだゆう)、小野寺十内(おのでらじゆうない)、堀部弥兵衛(ほりべやへえ)、間喜兵衛(はざまきへえ)の六人が、障子にさしている日影も忘れたように、あるいは書見に耽(ふけ)ったり、あるいは消息を認(したた)めたりしている。その六人が六人とも、五十歳以上の老人ばかり揃っていたせいか、まだ春の浅い座敷の中は、肌寒いばかりにもの静(しずか)である。時たま、しわぶきの声をさせるものがあっても、それは、かすかに漂(ただよ)っている墨の匂(におい)を動かすほどの音さえ立てない。


                                                        芥川龍之介  ある日の大石内蔵助
                                                           読みの底本;青空文庫ファイルより

                                                         (青空文庫の作成記録)
                                                   底本;「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
                                                                                 1986年10月28日第1刷発行
                                                                                 1996年 7月15日第11刷発行
                                                 底本の親本;「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
                                                              入力;平山誠、野口英司
                                                              校正;もりみつじゅんじ
                                                          ファイル作成;もりみつじゅんじ
                                                                                      1997年11月17日公開
                                                                                      1999年 8月 3日修正



                                            朗読 ;籾山久雄(音の図書室 音訳ボランティア)2002,3,1

    
                                                               ある日の大石内蔵助
Ads by TOK2