三四郎 その8


夏目漱石


三四郎が与次郎に金を貸したてんまつは、こうである。
 このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨あきさめにぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿しかのような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。
「じつは金をなくしてね。困っちまった」
 そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎は煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。

底本:「三四郎」角川文庫クラシックス、角川書店
   1951(昭和26)年10月20日初版発行
   1997(平成9)年6月10日127刷
入力:古村充
校正:かとうかおり
2000年7月1日公開
2004年2月28日修正
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朗読 籾山久雄

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三四郎8

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