高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた。默許であつた。
當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜みをするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡な人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科を犯した人であつた。有り觸れた例をあげて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。
読みの底本;青空文庫ファイルより
(青空文庫の作成記録)
底本:講談社「日本現代文学全集・森鴎外集」および岩波書店「鴎外全集」
入力:青空文庫
ファイル作成:野口英司
1997年10月16日公開
2001年7月18日修正
朗読 ;籾山久雄(音の図書室 音訳ボランティア)2002,6,20