杜子春

 或春の日暮です。
 唐の都洛陽(らくやう)の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。
 若者は名は杜子春(とししゆん)といつて、元は金持の息子でしたが、今は財産を費(つか)ひ尽(つく)して、その日の暮しにも困る位、憐(あはれ)な身分になつてゐるのです。
 何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来(わうらい)にはまだしつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶつた紗(しや)の帽子や、土耳古(トルコ)の女の金の耳環や、白馬に飾つた色糸の手綱(たづな)が、絶えず流れて行く容子(ようす)は、まるで画のやうな美しさです。
 しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭(もた)せて、ぼんやり空ばかり眺めてゐました。空には、もう細い月が、うらうらと靡(なび)いた霞の中に、まるで爪の痕(あと)かと思ふ程、かすかに白く浮んでゐるのです。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行つても、泊めてくれる所はなささうだし――こんな思ひをして生きてゐる位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまつた方がましかも知れない。」
 杜子春はひとりさつきから、こんな取りとめもないことを思ひめぐらしてゐたのです。

                                  芥川龍之介  杜子春
                                   

                                 (青空文庫の作成記録)
                                底本「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
                                          1968年8月25日初版第1刷発行
                                      入力;J.utiyama
                                      校正;野口英司
                                  ファイル作成;野口英司
                                               1998年5月20日公開
                                                2001年3月7日修正


                       朗読 ;籾山久雄(音の図書室 音訳ボランティア)2002,3,1

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                                     杜子春
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